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雨が全く降らない宮古島

全国のニュースでは連日大雨や土砂災害のニュースを報道しているが、
逆に宮古島は6月の初めごろからず~っと全く雨が降らない。

まぁ時間にして10分位のお湿り程度の雨が降る場合もあるが、農作物を潤すほどではない。
向こう1週間の天気予報でも、全く雨の心配がないのが逆に心配である。

向こう10日間、晴れの予報

ここまでお日様マークが並ぶと逆に疲れる・・・
てぃだカンカン、
空気カラカラ・・・

この晴れ間、旅行に来る皆さんには有り難いかも

干ばつにはなって欲しくない

1971年
私が生まれる2年前、宮古島は大干ばつだったらしい
その年の3月後半からから9月初旬まで全く雨が降らなかったとのこと。
なんとその日数185日間

185日間の最悪の大干ばつが宮古島を襲い、サトウキビ生産が壊滅的な被害を受け「もう農業では家族を養えない」と離農する農家が相次いだとのこと
農家は抜本的なかんがい対策を行政に求め、日本政府の援助により大規模農業用水調査が実施された。それが後の地下ダム計画へと進んでいったそうだ。

それよりも驚きなのが与那覇湾が淡水湖計画があったそうだ。
えっ知らなかった!

沖縄が本土に復帰した1972年ごろには、水源開発調査結果を下に農業用水確保の方法として「与那覇湾淡水湖計画」が進められた。
その規模は、与那覇湾約500㌶を閉め切り湧水を貯め淡水湖化すると、
約2700㌶の農地へのかんがいが可能とされた。

農業用水として利用するため与那覇湾淡水湖化計画が浮上し、漁業、農業者が対立する形で賛否両論、島を分けての大論争となった。

計画は約10年におよぶ調査、計画策定で農家からの同意を取り付けて、
1983年までに同作業を終了させ、その年に工事着工、10年後に淡水湖を完成させる計画だったそうだ。
あの美しい与那覇湾がせき止められ淡水を貯めるだけの場所に変わるだなんて今考えるだけでゾッとするよね。

しかし、この計画は与那覇湾やその近海の豊かな海が死んでしまうと多くの漁民を中心に島民が反対した。
豊かな漁場として久松の漁民を中心に利用されてきたことから、1981年暮れ与那覇湾を守る会が結成され、翌年10月に漁民360人が乗り込んだ舟120隻が約2㌔の列を成して沖縄製糖付近まで海上デモンストレーションを繰り広げた。
この反対運動によって計画がようやく白紙撤回された。

え~そんな映画やドラマみたいなことがあったことを知らなかった。
改めて当時の漁民に先輩方に心より拍手を送るとともに、
感謝を申し上げたい!


先人の先を見通す判断と知恵、勇気ある行動は後の世界で初の地下ダム開発による恒久的農業用水の確保に繋がったとのこと。

当時のみゃ~くぴとぅが未来の子供たちや孫たちのことを一番に考えていたことに感動する。やばい泣けてくる。

今日も与那覇湾は綺麗!

台風被害と干ばつ被害の時代を乗り越えて、この島は益々強くなった。
とにかく雨は降って欲しい。

1人でクイチャーでも踊ろうかな~