億劫な映画を見た⁉
「やばい映画を見た」と書くより、「これは億劫な映画である」と書き始めた方が引きが強くないか?
という文章に触れて、なるほど、と思ったのがきっかけ。
そもそも億劫とは、非常に長い時間を意味するもの、
「刹那」の反対語とのこと。
テレビ中心で映画を見ていた頃。
「ゴッドファーザー」「セルピコ」「暗黒街のふたり」などが特に印象に残りました。
これらストーリーを順に追って楽しめる映画は、
必要以上に頭の回路を使いませんよね。
ところが、アルバイトするようになり、名画座デビューすると、それまで観たことのない映画に出会うようになります。
中でも強烈だったのが、今はなき自由が丘武蔵野館での3本立て。
スポーツジムが1階にある建物の2階に映画館がありました。
当時、マウンテンバイクがはやり始めた頃で、ジムの駐輪場には、色とりどりのバイクがあったのを覚えています。
さて、その3本の中身はというと。
「去年マリエンバートで」「彼女について私が知っている二、三の事柄」「気狂いピエロ」という超ヘビー級。
編集やカメラ割りなど何も知らない映画初心者にとって、
頭が混乱する以外の何物でもありませんでした。
映画館でパンフレットを売っていなかったので、壁に貼ってあるリーフレットを読んでみました。
わかったのは、「去年マリエンバートで」は、監督と脚本家で意見が違うと。
そんなことってあるのか?
「彼女について私が知っている二、三の事柄」は、
団地の前でいつまでもしゃべっている印象しか残らなかったです。
3本目の「気狂いピエロ」を見る頃は今までと違う頭の使い方をしたので、ちょっと疲れてしまって半分うつらうつら。
最後爆発して、バーン!と音がして目が覚めた記憶があります。
映画館を出てしばらくしても、狐につままれたというか・・・
でも、今までとは全く違う映画体験をしたのは感じました。
不思議と、理解できない映画が悪い、という気持ちは全然起きませんでしたね。
ただ、今の自分には早すぎたんだ、という想いが少ししてからフツフツと湧き起こってきました。
基本的に笑って泣ける映画、ストレス発散になるような映画が好きなのですが、理解するのにある程度の予備知識が必要なのも、たまには観たくなります。
「億劫な映画」というのは、自分の中で刹那的に消化できるものではなく、年月をかけてだんだん発酵していくものではないか。
年齢を重ねたり、繰り返し見ることで始めて気づく価値。
映画を通して考え方のベクトルも変えられそうと思った次第です。
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