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【転職・自己紹介】「好き」を仕事にすると飽きる!三十代未婚女がデザイナー目指して再出発する話

初めまして、tomoeといいます。
今回は私の簡単な自己紹介と経歴、そしてこれからのことを書いていきます。

その前に最初に言います。

まずタイトル、あれは嘘だ。

某実業家がこんな言葉を残しておられますし、もちろん全否定するわけじゃないけどね……!!
という導入でこれからどうしてそう思うのか、私のこれまでを紹介しながら綴っていきます。


1.猪突猛進、活発すぎた幼少期

ぶっちゃけトラブルメーカーでした。幼稚園入園したその日に男の子を泣かせたり、田んぼに落ちたり、ボール蹴ろうとして足の骨折ったり(?)あとこの頃からすでにオタクの片鱗を見せていたと思います。年長さんの時の夢は

「ジェットマンになりたい」

そ、そんな……女の子なのに……。

小学生に上がっても、その勢いは止まらず。よくケンカとか事件とか起こして母親を困らせていましたね。そして本格的にアニメ、漫画にハマる。「ふしぎ遊戯」とか「赤ちゃんと僕」とか好きでした。サンタさんに「コミックス原作全部くれ」ってお願いしたら1万ピースパズルが届いたのは良い思い出です。

そして来る199x年。

その日、少女は運命に出会う――。

当時TVアニメ化されたばかりの「るろうに剣心」にがっつり沼る。気持ち悪いってレベルで読んでました。今でも原作暗唱できるくらいです。分からない単語とか国語辞典引いたりして(「惨殺」とかにマーカー引いてあったりした)そしてこの出会いが、中学時代に剣道部に入って地獄を見る引き金になるのだった……(完)


2.いわゆる「腐女子」。やっぱり漫画、アニメに明け暮れた学生時代

普通に漫画・アニメが好きなちょっと痛い女子のまま中学に上がりました。この時父が転勤族だったのもあって色んな学校に転校しました。

でも私には漫画があれば平気だった。

るろ剣ジャンプで連載してましたしね、元気に転校先でもオタク話してました。

しかし始まりがあれば終わりは来るもの。

1999年「るろうに剣心」大団円――!!

泣いた、めちゃくちゃ泣きました。そして中学に上がった時点で転校。

……友達ができない。

一番悩んだのはコレでした。コミュ障だったわけじゃない、でも何話していいかわからないし、周りは私が転校してきたボッチだと気づいていない。

そんな中で出会ったのが当時同じくジャンプで連載してました「封神演義」。すごい人気だった、みんな読んでた。私もどんなもんだろうと読んだ。

結果沼る。

そして友達もできた。でもハマり方がこれまでとは違いました。男同士の激重感情を描くのが大変お上手な藤崎竜先生の手腕に落とされ(?)

なんと腐女子になった。

今でもこのソウルは健在です。むしろ今の方がひどい。


3.就職氷河期。100社エントリーしても面接さえ行けない就職活動

オタク(しかも腐女子)という癖を持ったまま、中学、高校、大学と進学し比較的順風満帆だった学生時代。オタク文化は当時まだ人権を得られなかったので所謂『隠れオタク』としてこそこそ趣味に明け暮れてました。

パリピだらけのテニサー(という名の飲みサー)にも入ったよ、愚かなことに。

すぐ辞めましたけど。でもこのままなんとなく就職して結婚して~って人生を歩むのだと思ってました。

しかし2008年。

リーマンショック、襲来。

それまで売り手市場だったのが一気に買い手市場に。先輩の経験談なんて役に立たない、地獄の就職氷河期が到来しました。

エントリーシート、書けども書けども通らない。面接に行けても一次で落とされる。もう闇雲でした。とりあえずやりたいこととかどうでもいい。とりあえずどこかに就職しなくちゃって内定くれくれ状態になっていました。

そんな中、やっとのことで内定をくれたある中小企業。そこから私の社会人生活はスタートします。


4.仕事ってなんだろう。再出発を決めた2021年

正直に書きます。一社目、

とんだブラック企業だった。

詳しくは伏せますが、サービス残業当たり前、パワハラ・セクハラの横行、休日出勤当たり前。女性社員は伝票書くかお茶くみしてればいいみたいな。同期なんて毎日泣いてましたね。

でも世は世界規模での大不況、仕事があるだけまだマシと耐えていました。そんな頑張りが実を結んだのか、私は営業部からその会社では華がただった総務部に移動。そこで経理という職種に出会いました。しかし2年くらいでパワハラ、セクハラに耐え切れず退職しましたが。

それから「なんとなく経理事務」っていうぼんやりした志望動機で転職を繰り返しました。専門知識だし、どの業種に行っても大抵のことは賄えるし、数字自体嫌いじゃなかったので。

でもどこも長続きしなかった。

経理業務自体は、楽しかったです。仕分とか数字合ってるとすごい達成感あったし、たまに行く銀行業務とかお散歩気分で息抜きできましたし。

でも私にとっては何かが違ったんです。最初に上げた某実業家は

「そんなに好きじゃない仕事で8時間だけ働いて、家に帰って趣味をする人のほうが、たぶん人生は幸せなのかもしれません。」

っておっしゃってますが、一日8時間って人生の中で結構なウェイト締めますよね?私にはその時間すら「もったいない」って思っちゃいます。

私が直近で働いた経理事務でのお仕事はホワイト中のホワイト企業でした。定時退社当たり前、残業しても決算期に1-2時間くらいだしお給料も当然良い。別に何かあるわけじゃないのにどんどん出社するのが嫌になって、精神的にも追い詰められました。

そんな中気分転換に、なぜか同人誌書いたんです。自分で小説書いて表紙もデザインして一から作りました。

すごい衝撃だった。

腐女子ですので今まであれやこれや、妄想するのはもちろん好きだったんですけどそれを形にするってすごい快感でした。もうこれなら何時間、いや何日でも取り組めるって思いました。

その時「これを仕事にできたらよいのでは?」ってなんか頭の中で閃いたんです。でも年齢も決して若くはないし、才能があるわけでもないし第一今までやってきたこととは全くの畑違いだし、とかなり悩みました。

そんな中、ある出版社の漫画アシスタント募集の求人を見つけました。正直雇用形態アルバイトだしどうしようってまた悩んだんですけど、結論受かるかわからないしーって開き直って応募しました。

結果、内定いただいてしまった……。

それで今は漫画の仕事に関わりながら働いています。充実しているし新しい分野に取り組めるのでとてもやりがいを感じています。

そこで『仕事』ってなんだろうって考えたんです。昔の友人には「人生を楽しむためのスパイスじゃね?」って言われたんですけど、私にとってはそれじゃダメだったんですね。

『好きなものこそ上手になれ』じゃないけど、やっぱりある程度の熱意、熱量がなければ物事って続かないじゃないですか。それをやっと、約10年かけて理解できたというところです。


5.これからのこと

アシスタントとして働きはじめて、1年がたとうとしています。私がこの仕事を通して一番感銘を受けたこと、それは作家でも編集者でもなく『デザイン』でした。

漫画書籍(電子含む)って一枚の書影だけでもたくさん吟味して作ってるんですよね。ジャンルによって味雰囲気やら書体やらも異なる、魅せ方も違う。そこに興味を覚えました。

幸い今の職場でも、多くのデザインに関する仕事をもらっています。書店販促用POP、HPバナー、Twitterヘッダー……。本当に色々な経験を積ませていただいています。

でも、まだ足りないんです。私はもっと好きなもののデザインをしたい。

そういう気持ちで今、活動しています。


さて、この記事はここで終わりにしたいと思います。次は『デザインで何をしたいのか、どこに行きたいのか』を書ければいいなと思っています。

拙い文章、ここまで読んでいただきありがとうございました。







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