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2020/10/29 プールサイドと物理

近所の遊園地のプールサイドでテレワークができるようになったそうだ。観覧車にも乗れて格安のプランが提案されていると言う。夫が意気揚々と出かけていった。最初の緊急事態宣言から半年以上おこもり生活だ。メリハリが欲しいということなのだろう。帰りに幼稚園に寄って、預かり保育から次男を引き取ってきてくれるそうだ。

放課後、長男が友達を伴って帰宅。そのまま外へ遊びに行くと言う。親に持たされているというスマートフォンを私に見せて、彼は「俺、今、ヒゲダン好きでさあ…」と言う。小2男子の心をも虜にするofficial髭男dism、恐るべし。

夜、友人たちのイベントへ出かける。都内の小さな本屋で行われるそれに到着すると、数年会っていない人、最近物理的に会った人、最近論理的に会った人、初めて会う人がそれぞれにマスクをして座っていた。

久しぶりに物理的に人に会って酒を飲んだ。いろんな種類の会話が飛び交っていて、あっちに参加したりこっちに参加したり、疲れて黙ったりする。リモート飲み会が流行して、会えずとも気軽に友人たちと話すこともできると言えばできるが、大人数で、多数の話題が並行して空気中を飛び交うこの感じは、リモート飲みでは再現できないのだと思った。テキストや画面上に映し出される平べったい彼らに「会って」いても、いざ肉の身を持って立体となった姿を目の前にすると、その質感の圧倒的な重さや違いに愕然としてしまう。声のトーンや息遣いや、グラスの触れ合う音やお菓子の紙をカサカサする音が、部屋の奥からこちらまでの奥行きを持って聞こえる感覚とか、座っている畳の端に違う人の体重が乗った時の、くっと微かに沈む感覚。後ろを人が通った気配。テーブルの向こう側に置かれた餃子を食べたそうだなー、という雰囲気。

肉体を持って会う、ということに過剰に意味が乗ってしまったようで、かえって寂しいような変な気持ちになった。情報量が多い。もしも本当の本当に人類が引きこもらねばならなくなって、もっとずっと物理的な他人が遠くなることがあったら、もしや「物理酔い」という現象もありえるかもしれんな、と帰り道に考えた。

イベントで買った本を大事に読みながら電車に揺られた。ビール、美味しかったな。


テレビ視聴なし。「亀鳴く」を読む。

本やなにかしらのコンテンツに変わって私の脳が潤います。