誰に読まれるでもない文章が好きだ



誰に読まれるでもない文章が好きだ。

心の声というほど大袈裟ではなものじゃなくてよくて、かといってひとり言ほど孤独でもなくて、駅のホームで時間つぶしに話してくれるくらいの、ちょうどいいやつ。
電車に乗って、目的地についた頃にはとっくに中身を忘れちゃうんだろうけど、そういうのを繰り返すことで相手の人となりが少しずつ形成されていく、そういうやつ。


たまたま、というかほぼ奇跡的に検索に引っかかった以下の記事

(note「埋め込みに失敗しました」らしいけどこれは見えるのか?)



大学生の頃、軽音サークルにいた頃、こういう文章を人知れずだれも知らないような媒体に投稿してる先輩や後輩がいたけど、最近そういうのあんまり見なくなっちゃったな。俺が見ようとしなくなっちゃったんかな。

高校の頃、文化祭バンドで知り合った先輩も、そういうのを書いてた。のを思い出した。
部活で仲間と作ったホームページに、ただの身内ネタのメモのような日記を書いていただけの自分からすると、その溢れ出る孤高さに「なんかかっけぇ。俺も一年後の日記にはこんな事書いてるのかな」なんて思っていた。一年後も、その先もずっと、先輩のような文章は書けた試しがない。もう顔も名前も思い出せないけど、その事と演奏してた曲、歌声の癖は覚えてる。


文章がコンテンツ化していいね稼ぎの手段になってしまってから、こういうものに出会うことが減ってしまった気がする。
誰にも伝わらないような感情を、それじゃ誰にも伝わるわけねーだろって、てかお前まず誰だよっていう、そういう文を書いてた奴らはみんなどこに行っちまったんだ。出てこいよ、100回イイネボタン押してとどめに泣きながらバッドして通報してやるから書いてくれ。


こないだ同僚たちと食事に出かけるときに、待ち合わせに少し遅れて一人でヘッドホンして浅草の夜を歩いて店に向かってたら、なぜかランダム再生になってたAppleMusicが選んだ銀河鉄道の夜。
コビバンやってた後輩がいたなとか思いながら「ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか」という歌詞にこのメロディがついていることに対して無性にありがたさを感じながら、ワンフレーズ呟いてみた。パンクでダミ声のイカしたそいつみたいにかっこよくは歌えなかったけど、まぁ割といい気分だった。



今日、出社中に歌詞でググったら出会ったのが上の記事ってわけ。

季節の変わり目は、ひと泣きできるなにかに出会うまで毎度調子が上がらないんだけど、今年の冬はしばらく大丈夫そうってわけ。


さらに久しぶりに何者としてでもない文章を走り書きして、よりスッキリしたってわけ。


夜ご飯が家に置いてあるのに帰りに一人で中華食って、これこのあとどうすんの、と思いながらいい気分ってわけ。


クソみたいなことも馬鹿らしいことも多かったけど割といい2021年だった気がしてきたってわけ。



満腹になってきたので帰ります。
帰ったらギター弾きたいけどたぶん弾かない。

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