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ホビーパソコン戦国時代の覇者は誰の手に!?

インターネットの話からは少し離れてしまいますが、日本国内ではWindowsが登場する以前は、ビジネス向けのパソコンとホビー向けパソコンの市場が分かれており、特にホビーパソコンはある種の戦国時代となっていました。

私が子どもの頃は、なかなか手が届かない存在でしたが、今では一家に1台は当たり前。

さらにはパソコン以上の性能を持つ、スマホやタブレットを一人1台持っている時代になっています。

WindowsというOS(Operating System)が登場してからは、パソコンメーカー各社は横一線となり、Win vs Mac のOS対決に移って行きました。

そんなわけで、今回はホビーパソコンの戦国時代を史実を元に一部脚色を含めた、独自目線で振り返ってみたいと思います。

パソコンがマイコンと呼ばれていた時代

その昔、現在パソコンと呼ばれているものは、1980年代前半までは「マイコン」と呼ばれていました。

マイ・コンピュータの略で、自分のためのコンピュータという意味で扱われていましたが、1990年代以降、マイコンという言葉は、生活家電(電子レンジ、炊飯器など)に搭載されたコンピュータを指すようになっていきました。

厳密に言うと、家電に搭載されているマイコンは「マイクロ・コンピュータ」
パソコン以前に扱われていたマイコンは「マイ・コンピュータ」

という意味合いで、扱われていました。

今は、マイコンという言葉自体が死語になっていますが、マイコンピュータは、Windowsが登場してから、内臓ディスクドライブを指す言葉として再登場しています。

マイコンに代わって、パソコン(パーソナル・コンピュータ)という言葉が普及していくのですが、個人で使うコンピュータという位置づけで、それまでコンピュータと言えば、汎用機やワークステーションと呼ばれる、企業が扱う大規模なものを指していました。

マイコンからパソコンに変わった明確な時期は、はっきりしていませんが、1980年頃に各社から次々と「個人向けコンピュータ」が発売されるようになりました。

ここでは、1980年〜1983年頃に発売されたもののうち、比較的安価であった幾つかをマイコンと定義して、全てではありませんが、主なラインナップをご紹介しておきます。

国産のマイコン
NEC PC-6001 / PC-8001
日立 ベーシックマスター
東芝 パソピア
トミー ぴゅう太
ソニー SMC-70
カシオ計算機 FP-1000 / FP-1100

海外製のマイコン
コモドール マックスマシーン / PET 2001
アップル Apple Ⅱ
シンクレア ZX81

ホビーパソコン戦国時代の歴史

前項では、あえて1980年〜1983年頃に発売された安価な機種をマイコンと定義しましたが、同じ時期にホビーパソコンとして発売された機種もありました。

いずれにしても、この時期以降、各社はパソコンの開発に力を注いでいき、数々の名機を世に送り出すことになります。

特に日本では、「ホビーパソコン御三家」として、NEC、富士通、シャープが挙げられていました。

今はどのパソコンを選んでも同じソフト(同じOSであれば)が使えますが、この頃のパソコンは、各社独自のシステムや機器を装備していたので、メーカーをまたいでソフトウェアを使うことができませんでした。

そんな問題を解決するものが登場してきますが、それは後ほどご紹介します。

それでは、この御三家を中心に、各社ごとにホビーパソコンとして発売された機種を一気にご紹介したいと思います。

NEC(日本電気)

NECのラインナップは、PCxx01という機種名になっており、パソコンのことを「PC」と略して呼ぶようなるキッカケを作りました。
それだけNECは、このホビーパソコン戦国時代の筆頭として君臨し、影響力を持っていました。

PC6000シリーズ
先に販売されていた、8001シリーズとは別物として開発され、機能を抑えて安価で提供することに特化したシリーズ。
PC6001mkⅡSRが最上位機種。

PC6600シリーズ
PC6001mkⅡから派生した上位機種。「喋るパソコン」として有名で、家電量販店や科学館などの展示用に頻繁に使われていた。

PC8000シリーズ
NECが最初に発表したパソコンのシリーズ。同時期に発表された他社の製品と比べて、性能的にも価格的にも優れていたためヒットにつながった。

PC8800シリーズ
PC8000シリーズの上位互換機。8000シリーズのヒットにより、戦国時代の地位を確立したものを盤石なものにした。

PC9800シリーズ
元々は8000シリーズとは別に、ビジネス向けのモデルとして開発されていたが、ホビー向けが高性能化、低価格化が進み、棲み分けが無くなり、戦国時代後期になると、パソコンと言えばPC98と言われていた。

富士通

富士通は、FM-8を投入以降、互換性を保持しており、ソフトウェアの使い回しが出来たため、この時代の覇権争いを繰り広げるメーカーのひとつにのし上がっていきました。

FM-8
富士通が最初に発表したモデル。のちににNECから発表されたPC-8001に価格で遅れを取ってしまった。

FM-7シリーズ
FM-8の廉価版、後継機として発表されたモデルだが、低価格でありながら高機能であったため、御三家の一角としての地位を築いた。

FM-77シリーズ
のちに発表された、FM-NEW7と共に、富士通の地位を盤石なものにしたヒットシリーズ。NEW7は、FM-7の廉価版で入門機としてヒットしたが、こちらは7の完全互換の後継機。

FM TOWNSシリーズ
戦国時代後期に発表された、CD-ROMドライブ搭載の32ビットパソコン。高性能パソコンとして意欲的なモデルであったが、時代が早すぎたというべきか、賛否の渦に巻き込まれていった不遇のモデル。

シャープ

御三家の一角を担ったメーカーのひとつであり、ビジネス色の強かったNECと比べて、ホビー色の強い人気モデルを多数輩出しました。

MZシリーズ
MZ-1200を皮切りに、MZ-1500、MZ-2500(Super MZ)などの名機を輩出した系譜。1500はファミコンのディスクシステムで採用されたQuickDiskを搭載していたことでも有名。

X1シリーズ
MZシリーズとは違い、テレビ事業部が開発したシリーズとなっているため、テレビと連携でき、よりホビー要素が強いラインナップとなっていた。

X68000シリーズ
X1、X1turbo、と系譜を受け継ぎ、当時としてはEWS(Engineering Work Station)並みの性能を有していた希少な存在。ただし実売価格がホビーの枠を超えていたこと、戦国時代末期だったこと、BASICがC言語っぽい仕様で取っ付きにくい等がネックとなっていた。

日立

ベーシックマスターシリーズをひっさげて戦国時代に名乗りを上げたメーカーのひとつ。
惜しくも御三家に割って入ることが出来なかったが、日立を御三家に押す声もある。

ベーシックマスターレベル3
富士通のFM-8よりも、一足早く発表された先進的なモデル。他のベーシックマスターシリーズと互換性が無く、その後現れたFM-8により、存在意義を失っていった。

S1
ベーシックマスター最後の後継機。MSXのモデルと競合しており、NECの88シリーズの牙城を崩すまでには至らなかった。

コモドール

アメリカのパソコンメーカーで、Appleと共に日本市場に殴り込みをかけて来た。
コモドール64という名機を残し、世界で1700万台を売り上げたが、IBMとAppleに遅れを取り、姿を消していった。

コモドール64
海外製のパソコンで唯一、御三家の牙城に迫る勢いだった名機中の名機。

コモドール128
C64を大幅に拡張した後継機。

Amigaシリーズ
コモドール起死回生の切り札。Amiga500 / Amiga1000は、ゲーム用PCとして高い評価を受けた。

Apple

今となっては、コンピュータ市場で最も影響力を持つメーカーのひとつに数えられる巨人。

Macintosh
ホビーパソコンとしてラインナップするには、多少語弊があるかもしれないが、Apple Ⅱから始まったApple社のフラッグシップモデルとして外すわけにはいかない。
ここから続く系譜は、Macの名で今も脈々と受け継がれている。

その他

ここまで挙げてきたメーカー以外にも、戦国時代に名乗りを上げたメーカーは多数ありましたが、御三家との差は歴然としており、それぞれが戦いの場を模索していました。

ファミリーベーシック / C1
ファミリーベーシックは、任天堂が発表したファミコンにキーボードを接続してプログラミングできるようにしたソフト。C1は任天堂とシャープが共同開発したファミコン機能内蔵のテレビ。このソフトによりプログラミングの敷居を下げた功績は大きい。

パソピアシリーズ
東芝が発表したシリーズで、MSX時代を経て、現在も生きているDynabookへの礎を築いた。

JRシリーズ
松下電器が、ホビーパソコン御三家に対抗すべく発表したシリーズ。低価格路線に舵を切っていたため、性能も抑え気味となってしまった。

FP-1000 / FP-1100
カシオ計算機から発売された、低価格ながらハイエンド志向のモデル。計算機メーカーだけあって計算能力に優れていたが、性能を生かしきれずに御三家に敗北していった。

Atari ST
ATARIが発表し、欧米で人気となったモデル。AppleのMacintosh、コモドールのAmigaに迫る人気だったが、日本では今一つであった。

WindowsになれなかったMSXの失敗

現在は、MacかWinか、というくらいOSのスタンダードはこの二大巨塔に落ち着いています。
(スマホには、Android OSがありますが…)

パソコン黎明期、このホビーパソコン戦国時代には、世界標準となるOSは存在していませんでした。

OS自体も各メーカーごと違っていました。

そんな中、MSXという世界標準を目指すべく立ち上げられた規格がありました。

MSXは、マイクロソフト社が旗振り役となって、各社が参加してきました。

その時日本では、御三家が勢力を拡大しており、自社ブランドに注力していたため、最大手であったNECとシャープは規格に賛同するもハードウェア参入はしませんでした。

また、富士通も1機種を発売したのみで撤退してしまいました。

御三家が自社ブランドに注力し、その地位を盤石なものにしていくと、MSX勢は寄せ集めの感は否めませんでした。

低迷を続けていたMSX勢への援護として、ヨーロッパではフィリップス、日本ではソニーが参入し、息を吹き返していきます。

事実、世界で400万台、日本でも100万台を売り上げ、成功したかに見えました。

しかし、旗振りのマイクロソフトのお粗末なサポート体勢や内部分裂、日本のMSXを統括していたアスキー社との提携解消など、様々な逆風が吹き荒れたため、結果的にMSXは滅びの道を辿って行きました。

マイクロソフトは、この失敗を糧として、Windowsを発表し今日に至っています。

Windows登場による戦国時代の終焉

MSXの滅亡により、新たな世界標準統一規格として登場したのが、皮肉にもMSXの失敗を経験したマイクロソフトの発表したWindowsでした。

ビジネス路線に舵を切っていたため、ホビー向け・一般向けではなかったIBMのパソコンが、密かに水面下で、虎視淡々と世界制覇を狙っていました。

ビジネス向けのパソコンは高価であるため、IBMは低価格を実現するために、市場に出回っているパーツを調達しハードウェアを構築するという手法を取りました。

この手法は、のちに自作パソコンというスタイルの基礎となっていきます。

これにより、IBMは低価格パソコンを実現し、さらに汎用性も手に入れ、PC/AT互換機(日本では、DOS/V機とも言われました)が、普及していきました。

互換性を担保したマシンは、ホビーパソコン御三家が独自路線で進んでいたものを次々と駆逐していくことになります。

また、OSもWindows95の登場とともに、一気に国際標準化が進んでいき、ホビーパソコン戦国時代は終わりを告げていきました。

ゲーミングPCの普及とeスポーツの発展

パソコンのコモディティ化は、価格競争、性能競争となっていきます。

ビジネスで使用するものと、ホビーで使用するものの差が無くなり、仕事にも遊びにも使えるガジェットとして、一家に一台という形で普及していきました。

メモリチップなどのハードウェアについても技術が発達し、集積かが進んだことによって、パソコンの性能も飛躍的に進化していくことになるのですが、それに伴い、OSの性能も進化し続けていました。

ビジネス用のPCとしては、ある種の到達点に達した感はありますが、ホビー、特にゲームについては底無し沼の如く、止まらない進化を続けて行きました。

そこで、ゲームに特化したパソコン、いわゆるゲーミングパソコンが登場することになります。

このゲーミングパソコンの登場により、高度な3D表現や奥行きのある音源を淀みなく再現することが可能となり、快適なゲームライフを実現しました。

これは、eスポーツの普及に多く貢献したことは想像に難くないと思います。

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