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まっ正直な少年のまま逝ったあの人のこと


神戸の映画/神戸の映画監督

 2月25日、神戸映画資料館で故大森一樹監督のことを話した。
22日に東京であった「偲ぶ会」も約300人臨席の盛況だったが、昨日のこのイベントも満員、キャンセル待ちまで出ていた。
ご遺族、そして上映された「暗くなるまで待てない!」「夏子と、長いお別れ」に出演されていた方、スタッフとして参加されていた方も来場されていて否応ないプレッシャーだったが、約一時間僕しか知らないエピソードを中心にお話しさせて頂いた。

自分で話していて、大森一樹とは何とまっ正直で、裏表がなく、偉そぶらず、かといって謙遜や被虐とは程遠い陽気な自画自賛と前向き思考の人だったなと思い至った。

終演後、大森夫人から声をかけられ、自分の知らない夫のエピソードが聴けて嬉しかったとのお言葉を頂いた。


 軽く打ち上げということで、トークの話し相手だった映画研究家の田中晋平さん、神戸新聞のIさんと、大森さんとよく一緒に呑んだ店、三宮の「れてぃしあ」へ。


この店の店主 持井さんは「暗くなるまで待てない!」のスタッフ。今日の上映でちらっと出演もしているのも確認した。
思い出話しは尽きなく、持井さんも「大森ちゃんこの辺におるで」と宙を指さした。
献杯後「そういえばな」と持井さんが続ける。
昨年、病院から一旦退院した大森さんが店に現れ、僕の最新作、昨春公開の「あしやのきゅうしょく」のポスターが貼ってあるのを見て「あいつ来たんか。なんやこれは」と立腹されたのだと言う。
それは僕が持参したポスターであることは間違い無いのだが、そのポスターが大森さんの2015年の映画、結果的に遺作となった「ベトナムの風に吹かれて」のポスターを剥した場所に貼られていた事にムカついたらしく、後日B2サイズよりひと回り大きいA1サイズの「ベトナム‥」のポスターを自分で持参、出入り口ドアに貼れと命令したのだと言う。
そして「もう剥がすなよ」と。

中学生か。いやしかし如何にも「らしい」エピソードであることよ。
公的なアーカイヴならともかく、三宮のバーの壁である。
映画少年のままの70歳。

「偲ぶ会」で緒方明監督が「自分は大森監督の弟子」と語っていたが、
特に何かを教わった事はない、楽しい思い出しかない僕はさしずめ舎弟だったなと、この日一日じゅう大森一樹を語れたことの幸福を噛み締める夜だった。

 2013年のツーショット。酔ってピンボケ。満面の笑顔。


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