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両親の問診時間  「理想主義 自己教育の問いとして」①

前回は「理想」というものは何なのかを考えていきました。

 理想とは「考え」である。
とはいえ、「考え」の種類もたくさんあります。
 人は生きていく上で「考える」ことをとにかくたくさん、当たり前のようにしています。
 今日の天気は晴れだ、、この料理はおいしい、、晩御飯は何しよう、、とか。
 これは好きな味だ、、あの匂いがきらいだ、、とか。
日本には四つの季節があるなあ、地球は太陽の周りを回っているのだ、、とか。

 でも「理想」はそのような日常の中の事象や感情、あるいは自然の法則などに思いを巡らすような「考え」を、はるかに超えた大きな「考え」。
それは間違いなく、私たち人間どんな人でも、一人ひとりの内側に眠っているものです。

「理想」とは、その人自身が自由に描けるものであり、人生はその「理想」を実現するためにあのだということを再確認するところから始まりました。

しかし、
そのような、大きな生きる力ともなる「理想」が破壊的に働くときがあります。

自らが知っていること、できていることで虚栄を張り、他者を否定したり、高い理想を持つがゆえに、自分なんてまだまだだととのギャップに自分を否定し、絶望したり、

そのどちらも共通して「満たされない不満」という大きな病が自分たちの中に巣食う可能性がいつどこにでもひそんでいるのです。

「理想」を持つばかりに誤った方向に偏っていく傾向は、日常の些細なことから人生の大きな出来事に至るまで、参加者の誰しも心当たりのあることでした。

 では、どうしたらそれを避けられるのでしょうか。
健全な「理想」を抱き、人生を歩んでゆくには、どうしたらよいのでしょうか。

そこに「自由」というキーワードが浮かび上がってきたのです。



つづく






                            

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