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アダム・サンドラーの「心」を感じる 『リトル★ニッキー』


アダム・サンドラーの例外的「コッテコテ」コント映画だ

 アメリカコメディ界の大スター、アダム・サンドラーが主演した『リトル★ニッキー』(00)は、サンドラーとスティーヴン・ブリル監督が初めてタッグを組んだ作品である。この映画に「いつものアダム・サンドラー」はいない。時代の変化(サンドラー本人の加齢)とともに主人公の精神年齢も「成長」していくサンドラー主演作の流れにあって、本作は例外的・番外編的な「コッテコテ」のキャラクターコント映画だ。

 『サタデー・ナイト・ライブ』出身者によるコメディ映画の中でも、本作は『コーンヘッズ』(93)や『いとしのパット君』(94)、『オースティン・パワーズ』シリーズ(97〜02)などと同じカテゴリに属する作品と言っていいだろう。ちなみに、『コーンヘッズ』でも本作でも、DVDのジャケットには映画評論家ジョエル・シーゲルの推薦文が印字されている(思い返せばシーゲルはB級コメディを愛するタイプの映画評論家だった)。


いちばん好きなアダム・サンドラー主演作かもしれない

 これまでに存在するアダム・サンドラー主演作の中で、私はこの作品がいちばん好きかもしれない。まず、個々の出来はともかくとして、ギャグが絶え間なく詰められていることに好感を抱く。ギャグの数でコメディ映画の価値が決まるわけではないけれども、少なくとも、ギャグの数の多さによって「観客を楽しませたいという思い」の強さは感じ取れる。

 次に、主人公・ニッキー(サンドラー)のキャラクター設定が完全に「変人」なので、私が1990年代のサンドラー主演作に抱いてきた一種の違和感──主人公の「自己中心的なアホらしさ」と「英雄視される正義性」のミスマッチ──が生じておらず、物語の展開を素直に受け入れることができる(このあたりはジェリー・ルイスのフィルモグラフィにおける『底抜け大学教授』(63)と位相が酷似している)。

 さらに、オジー・オズボーンやヘンリー・ウィンクラー、レジス・フィルビンといったアメリカの有名人が本人役でカメオ出演したり、『サタデー・ナイト・ライブ』でサンドラーの先輩メンバーだったダナ・カーヴィが変装して登場したり、映画のラストでは登場人物のその後が説明されたりと、アチャラカ的な笑いが少なくない。

 しかも、おなじみ「サンドラー組」の面々や大御所コメディアンたち(ロドニー・デンジャーフィールドやマイケル・マッキーンら)に実力にふさわしい役どころが割り当てられているばかりか、ハッピー・マジソン作品に初参戦の顔ぶれ(ハーヴェイ・カイテルやリス・エヴァンス、パトリシア・アークエットら)も水を得た魚のようにそれぞれの役柄を好演している。ブリル監督がメイキングインタビューで語っているように、「どの脇役も魅力的で『通行人』がいない」のだ。

 ニッキーとヴァレリー(アークエット)が恋仲に発展したいきさつが省略されすぎていたり(とはいえ恋愛要素は本作の肝ではないからそれで正解かもしれない)、逆にニッキーと兄・エイドリアン(エヴァンス)の「対戦シーン」が冗長だったり(とはいえギャグが挿まれてはいたし、このパートを省略したら物語のしまりが悪くなるだろうから仕方ないかもしれない)といった点を除けば、本作はまさしく「コント映画」の傑作だった。


まさしく「芸人」「コメディアン」として活躍している

 コメディ洋画ファンとしてはあるまじきことにアダム・サンドラーのことがイマイチ苦手な私にとって、この作品は「サンドラーさんのこと、苦手だけど好きなんです!」と主張できる最高の根拠だ。本作でのサンドラーはまさしく「芸人」「コメディアン」として活躍している。ほかの「俳優」には発揮できないような個人芸と、醸し出せないであろう「笑芸人の情緒」を発露しているのだ。

 大がかりなセット、当時としては最先端のCG技術、こだわり抜かれた特殊メイクと衣装(エレン・ルッターによる衣装の選択はポップ&カラフル!)、ブルドッグをはじめとする動物たち──。相当な予算と人員と手間暇が、あくまでも「ギャグ」として消化されるために惜しみなく使われている。ほかのどの主演作よりも、私は、本作でのサンドラーに笑いの表現者・創作者としての「心」を感じざるを得ない。サンドラー本人が明かしているところによると、サンドラーの父親も生前は本作をサンドラー主演作の中で最も気に入っていた、という事実は特筆に値するだろう。


「なぜこれほどまで多くの人々が駄作だと思っているのか」

 さて、これは世に広く知られていることだが、この作品はとてつもなく評価が低い。世間一般では「駄作」もしくは「大駄作」として片付けられているのが現状だ。IMDb(インターネット・ムービー・データベース)のレビュー欄で『リトル★ニッキー』に10点満点をつけている貴重なユーザーの中には、アダム・サンドラーの大ファンだという者もいれば、これまでは好きではなかったという者、さらにはこれが初めて観るサンドラー主演作だという者もいるが、中でも印象的なのは次の2つのレビューである。

 多くの人々と異なり、私は『ビッグ・ダディ』(98)が苦手だ。安っぽくて過度にセンチメンタルな脚本、一つのギャグを時間いっぱいまで引き延ばしている。

2001年2月13日投稿、darkgodmobutu

 なぜこれほどまで多くの人々がこの映画を駄作だと思っているのか考えてみたい。彼らはおそらくサンドラーの旧い(品位に欠ける)スタイルに熱中してきたのだ。しかしながら彼は変わった。たしかに『俺は飛ばし屋 プロゴルファー・ギル』(96)で見受けられるような彼の酔っ払っていたり暴力的だったりする姿を見るのは楽しいが、『リトル★ニッキー』にはほかのサンドラー映画すべてをひっくるめたものよりも10倍のエンターテインメント性がある。特に、私が彼の最も酷い映画だと思う『アダム・サンドラーはビリー・マジソン 一日一善』(95)のことを考えればなおさらである。

2001年6月23日投稿、renaldo and clara

 『ビッグ・ダディ』に象徴される「ドラマ映画」とは違って、『リトル★ニッキー』はスラップスティックなギャグを大量に含む、純然たる「コント映画」あるいは「ギャグ映画」である。「ドラマ映画」と比べて作り手のアクが(非常に)強く表れるため好き嫌いが分かれやすいのは必然であり、ましてやキャラクターコント的な「ギャグ映画」はそもそもゲテモノ扱いされやすい。私のようなコメディ映画ファンにとっては信じられないことだが、世の中には「ドラマ映画」と「ギャグ映画」にジャンル分けの時点で上下優劣を見出す映画ファンも存在するのだ。

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