アートとしての病、ゲームとしての健康 ―10年後に読む『ハーモニー』―(5/12)

(5)身体に「アクセス」する

「健康」、この古くて新しい問題をあつかう手始めに、今日の最先端のテクノロジーについてお話したいと思います。

2017年、我々の世界でもウェアラブルから「WatchMe」へと至るテクノロジーの道筋がひとつの結節点を迎えました。冒頭で話題にした持続型血糖モニタリングデバイス「Free style Libre」、通称「リブレ」の登場です。

仰々しい名前ですが、ようするに血糖値を測るための機械です。しかしその仕組みは従来のものとは大きく異なっており、それゆえに歴史的な意味を持っています。

少しだけ、医学の話にお付き合いください。糖尿病においてもっとも重要な治療指標は「血糖値」、つまり血液中のグルコース濃度です。食べたものが分解され、糖として吸収され、血流にのったものが血糖です。このプロセスが、血糖値が上がるということです。この糖はインスリンというホルモンの作用によって細胞内に取り込まれ、エネルギーとして利用されます。この時、血糖値は下がるというわけです。

血糖値が高いこと、とりわけ急激な上昇低下を繰り返すことは、血管にダメージを与える原因となり、将来的な合併症(腎臓や眼、神経、その他血管の通っているあらゆる臓器がダメになること)のリスクとなります。食事、運動、その他さまざまな要因で変動するこの血糖値を、食事療法、運動療法、そして薬によって一定のレンジのうちに保つ、というのが糖尿病治療のコンセプトです。

さて、これまで血糖値は、血液そのものを解析することによってしか測定できませんでした。
ということは、血糖値を知るためには毎回血液を採取しなければなりません。血糖値だけでなく、およそ血液検査ではかるような生体情報にはそういう制約があります。しかし考えてみれば、日頃なにげなくやっている血圧測定や体重測定にだって、似たような制約があるのです。我々は血圧計を使えばいつでも血圧を測ることができるわけですが、ずっと血圧計を巻いて過ごすわけにはいきません。

ほかならぬ自分の身体のことだったはずなのに、我々はそのたびごとに機械に頼らなければ、その生体情報にアクセスすることができません。不思議です。この問題を、ここでは仮に「身体へのアクセス性」と呼ぶことにしましょう。

リブレの革新的な点は、この「身体へのアクセス性」を劇的に向上させてしまったことにあります。リブレはスマートフォンよりやや小さいくらいの読み取り機と、マカロンくらいの大きさのセンサーとがセットになったデバイスです。センサーのついたパッチを腕に貼ると、皮下組織のなかでグルコース濃度を感知してくれます。そのパッチに読み取り機をかざせば、リアルタイムで「現在の血糖値:98 mg/dl」という具合に表示してくれるというわけです。

そしてセンサーは読み取り機をあてていない間も、常に血糖値を記録しつづけます。したがって読み取り機には、最終の血糖測定から現在に至るまでの血糖推移が、曲線グラフで表示されることになります。

このとき身体にアクセスするためのコストは、ほとんどゼロに近づいています。そしてコストの低減は、アクセス頻度の増加につながります。生体情報は時間軸上の散発的な点から、長さを持った線の情報へと変わります。つまり自分の身体を、高解像度で知覚できるようになるということです。

ユーザーは食事をしながら、運動をしながら、くりかえし血糖をはかりその変動をリアルタイムで知覚することができます。慣れてくれば、どのようなものを食べたらどのくらい血糖があがるのか、といった自分の身体に起こる反応を、あらかじめ予測することができるようにもなるのです。

しかし、実際にこのようなテクノロジーの実現を目の当たりにしてみると、我々は不思議な感慨を覚えます。いったいこれまで人類は、自分の身体にすらアクセスすることができないで、どうやって何万年も生きてきたのでしょうか。

(続きます)

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