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暇でしょうがない原体験

自分の原体験は、圧倒的に暇だった幼少期なのではないか。小学校時代は、圧倒的に暇だった。友達はあんまりいなかったし、数少ない友達も家の方向が違っていていつも一人で石を蹴りながら帰っていた。とにかくくそ暇だった。

自宅に戻っても、周りに友達はいないし、親は農作業やってるし、テレビはニュースか大相撲しかやってないし、お店もないし、宿題はそっこうでおわるし、もちろん塾もないから塾にもいかないし、田んぼか山か畑しかなかった。手伝いは嫌いだったのでほとんどやらなかった。

暇すぎて暇すぎてしょうがなかった。「暇だー」「暇だー」が口癖だった。だから自分で一人で遊べる遊びをつくって、ルールをつくって、黙々とやり続けるしかなかった。将棋も自分vs自分だった。自分で自分が面白がれそうなものを試してみて、面白がれるルールに変更して、ということをやっていた。(今思えば)

この原体験が、今、会社をやっていることにつながっている。自分で面白そうなことを考えたら、とにかくやってみたい。経済的な合理性は、やり始めた後になんとか帳尻を合わせているって感じだ。(計画では最初から帳尻が合う予定なんだけど大体合わない)帳尻を合わせるのも、なんか”おもしろいこと”としてやっている。

”おもしろさ”も、いろいろあるけど、何となく難しそうな状況を打破することや、やったことないことをやってみる、みたいなことをおもしろいと感じている。なんでこういう思考になったかはわかんないけど。

テーマとしては“地方の事業者”とかだけど、それは実家が地方の農家で自分ごととして感じられるからなのと、何な打破したくなる状況な気がしたから。

幸いにして、事業やっていれば、いつでも打破しなければならない状況はいつでも目の前にあるのでずっと楽しく過ごせそうだ。

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