「。」について思うこと
こんにちは、甘野充です。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
というのは村上春樹の「風の歌を聴け」の冒頭の文章だ。
「完璧な文章などない」と言い切ることで、「完璧でなくてもいいのだ」と割り切っていて、つまりは文章なんてどう書いても正解なのだと正当化している。
ぐうの音も出ない。
まさしく完璧な文章だ。
いやいや、今回の論点はここではない。
小説の中での台詞の「」内の最後の「。」についてだ。
「。」がついているよね。
確かについているよね。
僕が持っている文庫本が古いからそうなっているのかと思って、書店に並んでいる本を確認してみた。
やっぱり「。」は存在する。
小説の台詞の「」の中の最後には「。」はつけないのが普通だ。
なぜあるのか。
村上春樹の二作目の「1973年のピンボール」以降の台詞の「」内の最後には「。」はない。
「。」があるのはこのデビュー作だけなのだ。
最近の若者は文章の末尾に「。」をつけるのを好まないのだそうだ。
メッセージアプリなどでの口語体の会話では「。」は堅苦しくなるからだという。
時代の流れなのか。
そういえば「ゲスの極み乙女。」が最後の「。」を無くして「ゲスの極み乙女」に改名したなあ、と思い出す。
「モーニング娘。」にはまだ「。」がついているようだ。
「。」はいらないのか?
いやいや「。」はあってもなくてもいいのだ。
なぜなら完璧な文章なんて存在しないからだ。
今日はそんな感じです。
それではまた。
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