広さと深さ

人としての器はこれで形成される物と最近感じる。知識や経験の広さと深さ。様々なことを知っている、経験しているという広さと、そのことに対してどれだけ知っている、経験しているという深さ。うだうだ言っているが、知識、経験の量と質の掛け算が「器が大きい」なんじゃないかと思う。

ただ、掛け算なので大事になってくるのは広さと深さのバランス、どれだけ器が大きいとしても、とても広く浅い、またはとても深く狭いだけでは良くない。(今の語彙では「良くない」しか出てこない)だから広さと深さのバランス感覚が大事になってくる。
ここまでは頭では理解できるが、実際にどうすればバランスが取れるかわからない。自分だけでは主観的な評価になってしまうので、友達や恋人、上司、家族等と話しながら上手にバランスを取れるように進むしかない、振り返ってどうだったかはその時にしかわからない。常にその時の最善を取るしかない。

量を増やすには行動すればいい、やらない理由を見つけてやらないのは誰だってできる。だからやった方がいい。こう人には言えるが自分のことになると途端に難しくなる。日々の些細なことに気を取られ、気づいたらやらずにその日は終わる。行動力が大事になってくる。

質を高めるには継続をすればいい、しかし継続はかなりしんどい。遊びたいし、寝てたい、YoutubeやNetflixもある、日々時間を取られるコンテンツが生まれている。それらを避ける若しくは享受しながら継続を続けるのは並大抵の精神力じゃ不可能と感じる。信念が大事になってくる。

行動力と信念が合わさり、主体性になるのだと理解している。そんなもの書かなくても分かれよと思うかもしれないが、書かないとわからないので書いている。

量の増加と質の向上を小さい頃から広げ、続けてきた人が人として成熟していくのだと思う。自分もそのような主体性のある人でありたい。強いて言えば周りの人もそうであって欲しい。そしてその器の重なる部分が大きい人と付き合っていきたい。

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