言葉にしない方がいいのかな

何が幸せとか、何が友達とか、何が大事なものなのかとか色々考えてるうちにそんなの言葉にすると軽々しくなっちゃうなと思った。実際人に伝えるときは言葉にしないと伝わらないし、自己理解のためには頭の中で思いを言葉に変換しないといけない。でも自分はあの感覚とかあの時の感情とか感性ベースで物ごとを自己理解したい。言語化大好きツールみたいなnoteを書いてる奴がこんなこというのはなんか違う気がするけど、誰に見せるわけでもないし最近そんなにみられてないからいいか。

なんでこれを書こうと思ったのかというと、理由は2つあって就活と人間関係の中で思ったから書いてみてる。
就活が終わって後輩が少しずつ始めだし、色々聞かれる中で多いのが「自己分析ってどうしたらいいですか」という質問。実際就活は適当にやってたけど自己分析だけは時間をかけた(考えるのが好きすぎて時間がかかった)。やば、自分が嫌いな意識高い系になりそう。でも、その中で言語化を死ぬほどやって思ったのが上にも書いた通り大事なものは言葉にしたくないということ。ある種の独占欲とか人に本心を見られたくない性格からなのかそう思った。結局自己分析でやらざるを得なかったけど。
幼馴染み的な友達からよく聞かれるのもこのことをよく思う質問。自分があまり感情を出さない性格なのと、そいつが自意識が高いからなのか「俺のことどう思ってるの」と聞かれる。自分はいつもその質問に対して「言わなくても分かれよ」と答える。言いたくないから。友達歴もう15年目なんだから分かって欲しい。好きじゃないやつとこんな長く一緒にいない。たまにこれを言うとすごい嬉しそうな顔をするからなんか腹が立つ。このnoteは絶対にあいつに見せない。

こんなに言葉にしたくないとか言っているけど実は言葉が持つ力が大好きなんだよなぁ。小さい頃とか本を読みたくなくて名言集とか孔子とか読んでたし、キャッチコピーとか大好きだし。就活も最初は広告とか自己表現できるような企業を見てたけど、好きなものを一生好きでいたかったからIT系にした。書いてて思ったけど好きな物を好きって言ったり、自分が関わったりすることで変わってしまったり、好きじゃなくなってしまうのが怖いんだなって思った。やべ、言語化しちゃった。誰も見てないしいいか。

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