非常民の構造と日本社会 (人文サロンβ:感想)

今回は差別とその社会構造をテーマに語り合いました。民俗学における非常民をキーワードとして、差別と社会、歴史などについて話が広がりとても勉強になりました。
冒頭より、赤松啓介における非常民の概念の簡単な説明をしました。赤松は「非常民の民俗文化 生活民俗と差別昔話」において、「非常民」と「常民」について触れています。常民とはいわゆる一般市民や民衆といった社会の想定した/された人々及び文化生活圏であり、非常民とはそこから排除された/される人々のことを指します。ここから、差別という現象とその社会構造というものに興味を持ちました。
普通の人々とは、一体なんなのか。
歴史的に見ると、例えば「サンカ」と呼ばれる人々がいてこれは歴史的に見ると定住先を持たない流浪の集団のことを指していました。世界史的に言えばユダヤ人やロマの人々もこれにあたるのかもしれません。
このサンカというものについて、日本神話における国津神と天津神との関係性を例に面白い捉え方がありました。一般的には国津神を土着の神々、天津神とは天から来た神、つまり外来の神々ということになり、国津神は天津神に追われるものとして描写をされてきました。ただ、国津神も天津神も両方ともが外来の神々であり、それ以前の信仰を持っていた人々が迫害を恐れ山や谷などに隠れ住んだ者をサンカと呼んだのではないか、というのが通説としてあったそうです。
ただ現代においてはサンカへの捉え方はやや異なっており、江戸時代において飢饉などで稲作ができなくなった人々が山に逃れ、そうした人々がサンカとなったそうです。こうして見ると随分と文脈の異なる話ではありますね。日本史的に見ると、平安貴族というものは血とその穢れへの忌みから検非違使に戦の役割を与えてこれを遠ざけますが、時代が武家に移ると今度は武士も穢れを忌むようになり、さらに血や穢れというものは、社会の下位の階層へと引き継がれていきます。近代以前と、身分構造の差別は血(物理的なもの以外にも概念としても含む)や穢れといったものと不可分に結びついていたのではないかと思いました。
現代においてはこの感覚は薄れたといってもいいのかもしれませんが、階級といった点では現代の日本というものはイギリスほどではないにせよ、階級社会となりつつあり、これは結果として差別という境界を生み出しているのではないかと思いました。そして、日本とイギリスとの共通点といえば王室(皇室)があることですが、皇室というものは非常民の視座を持ちいれば、上級の意味での非常民(既存の社会構造から排除された想定されていない存在)ではないのか、との展開になり、この点が最も印象深いものでした。非常民といえば、やはり赤松のいうようなアンダーグラウンドな領域の想定だったのですが、上位互換としての非常民というものも、やはり社会の中に存在をしている、しなければ社会構造というものが成立し得ないのではないか、との感想が出ました。
社会の中にある不安定なものを、不安定なものとしてあるいは曖昧なものとして受け入れることで、全体の調和や秩序を保ってきた日本社会というものがあったわけです。当然それは現代においても受け継がれており、機能もしているのですが、徐々に崩れてきている部分もあるのではないでしょうか。
そして、逆説的なのですが、この構造というものは下位の非常民は当然として上位の非常民の存在も必要としているのではないでしょうか。その頂点にあるのが皇室であり、天皇という存在なのかもしれません。あるいは、神職というものもこれに連なる存在ではないでしょうか。武士の中にある差別意識や選民意識は封建体制を背景とした権力・権威から派生するものです。対して神職の持つ差別意識や選民意識とは血統や地縁などに根付くものであり、種類も質も異なるものです。
ここまで考えてくると、日本社会というものは差別という構造をある領域では起点とし力学としながら成立し、あるいは成立しながらでなければ形を保てない、非常にパラドキシカルな存在であるといえるのではないでしょうか?
そして、これは現代的な感性で切り取ることの非常に難しい問題ではないのかとも思うのです。
下位と上位との非常民の存在と構造は「合わせ鏡」のように存在をし、また機能をしているのではないでしょうか。そこに倫理というワクワクはめるならば、首肯できない部分もあるのかもしれませんが、ではこれらを完全に壊し否定できるかと問われれば、それもまた難しいとも思います。というのも、そうした社会は完全なる社会主義、共産国家ということになろうかと思いますが、その社会は歴史も何もない、ただのっぺらぼうのような存在となるのではないか……。とするならば、日本や日本人とは一体何なのか、これはアイデンティティの問題をもはらむものでしょう。上位の非常民とは、逆差別と不可分なものです。ですが、この差別/逆差別というものなしには成立し得ない日本社会というものが、まさに今私たちの生きている社会の皮肉な実相なのではないでしょうか。

以上走り書きですが、感想です。

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