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日本学術会議、日本学士院、そして、国立アカデミー

日本学士院

ホームページを漁りました。この方たちを優遇しないなら、誰を優遇するのか聞きたいぐらいの方々が会員でした。ノーベル賞受賞者や、フィールズ賞受賞者、その他、数々の業績を上げられた方ばかり。しかも、国際雑誌: Proceedings of Japan Academy (series A と B があるみたい) を出版しているようで、アカデミアにも貢献しているようです。学術雑誌が高騰する中、無料公開されているのも、大きな貢献だと思います。リンクをたどると見られましたが、会員の先生方が Communicator として掲載されており、これも大きな貢献だと思いました。

個人的な結論:日本学士院は、本来の目的である、「学術上功績顕著な科学者を優遇する」を達成しており、また、加えて、日本の研究者の成果を世界に発信するための学術雑誌を出版するという、国立アカデミーとしての役割を十分に果たしており、税金を払ってもよいと私は思いました。


日本学術会議

「科学者の国会」を名乗っていますが、民主的な手続き(選挙)でなく、推薦で会員が選ばれるようです。一方、内閣総理大臣は間接選挙とはいえ、民主的な手続きで選ばれます。民主主義の原則から言えば、民主主義的な手続きで選ばれた総理大臣の意志が尊重される方が国民の利益になる(はず)なので、任命拒否はあってしかるべきだと私は思いました。それとは別に、法律的に、任命拒否が正当かどうかはきちんと説明されるべきでしょう。また、拒否された6名の方々が、日本学術会議の会員に相応しい業績を上げられているなら、日本学術会議はそのことをきちんと説明して、再度推薦するのがよいと思います。「学問の自由」はもちろん重要ですが、それだけを理由にするとイデオロギー論争に巻き込まれ、日本学術会議本来の目的と役割からどんどん離れていく気がします。


国立アカデミー

日本の国立アカデミーとしては、学術雑誌の出版という直接的なアカデミアへの貢献がある日本学士院の方が貢献度が高いと思いました。日本学術会議は、「科学者の国会」を名乗るなら、会員の選出方法をもう少し民主的な方法にするか、そうでなければ、ノーベル賞を受賞された先生方が度々会見で訴えられてきた、基礎研究への研究費の分配、大学での研究に係る研究費の増額など、そちらの方面でもっと政府に働きかけるのがよいと思いました。そうすれば、少なくとも、研究者の中からの日本学術会議に対する批判はもう少し穏やかだったかもと思います。

最後に

一つの国家において、学問が盛んであること、顕著な業績を挙げた科学者が優遇され、十分な環境のもとで研究者が活動できることは、その研究成果がすぐに役立たないものであったとしても、その国がより価値のある国家であることを保証してくれるのだと思います。誤解を恐れずに書くと、アメリカの物理学者の言葉である「この国を守る価値のある国にする」ということでしょうか。その意味でも、日本には、国立アカデミーが必要だと思います。「税金ではなく民間で」という意見もありますが、科学、学問への寄付文化が希薄な日本では、(いまのところ)税金で運用するのが一番合理的でしょう。だからこそ、政府には何故任命を拒否したのかを、日本学術会議には(学問の自由が~ではく)何故その6名の方々が会員として相応しいのかを、説明してもらいたいと思います。


追記:日本学士院の会員の終身年金を税金から支出することがけしからんという人もいるかも知れません。それでも、その方々の業績を見れば、自分が何度生まれ変わっても出来そうもないことばかりです。日本の科学と学問に貢献された方には、その知識と経験を生かして、金銭の心配をすることなく、思う存分活動していただきたいと思うのは私だけでしょうか。山中先生が研究費が足りずにマラソンなどで寄付を募っておられるようですが、そのような状況を良しとしているようでは、科学技術立国など夢のまた夢でしょう。せめて、ささやかな年金で先の事を心配せず、研究者としての活動に集中できるなら、日本にとって大きな利益となるでしょう。もし、「学問など金にならない」という価値観に日本中が染まってしまえば、日本は沈没するのみです。それこそ、中国にあっという間に呑み込まれるか、アメリカの州の一つになるかです。日本を守る価値のある国にするための経費と考えれば、安いものだと思います(兵器より安いし、平和的)。

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