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人生の後半に向かうにあたって

こんにちは。ヨシミツダといいます。私は理系の大学院に進学し、技術商社を経てエンジニアとして電機メーカに入社し、今に至ります。社会人になり約15年になります。ついに40代に突入です。人生の後半に向かうにあたりこれまでの経験を整理して、生き方をリデザインしたいと考えています。

自分が若かりし頃に知っておければと感じた経験、そして生き方をリデザインしていく過程で感じたことを、できるだけありのままにnoteで共有したいと考えています。

なぜ自身の経験を共有しようと考えたのか

私は平凡なキャリアを歩いてきたのですが、平凡な自分でも若い時に聞いておくとよかったなという学びが生きてきて多くあったからです。
失敗を通じて学んだ経験、やっておいてよかった経験、こういったことはたとえ、少しの人であっても誰かの力になることがあるのではないでしょうか。メーカーで働きながら感じたキャリア論、40代のこれからの活動について共有していきます。

会社(組織)に委ねすぎたキャリア論の失敗談

すべてが学びで、自分が成長できることを実感していた20代から30代に移行する過程で私は大きな失敗をしてしまいます。30歳をすぎると仕事に占めるマネジメント領域の割合が大きく増加したのですが、この時に私はマネジメントをひとつのスキルとして理解することができていませんでした。人を使って仕事をするという狭義の意味ぐらいにしか考えていなかったのです。
また、いつの間にか組織で仕事をすることに慣れてしまい、自分は何を達成していくのかという、これからの生き方に対する思考が停止がちになっていたのもこの時期でした。関わる人が増えて、毎日忙しく仕事をしているが、専門技術的な仕事をしているよりも達成感が低いことを気にしていました。

社内公募制度を使って異動するも

そういった達成感の低い状況に対して30代になり事業領域が変わっていたことが原因かもしれないと結論づけて、社内公募制度を使って自分を必要としてくれる部署に異動することにしました。
しかし、この異動は裏目にでます。仕事の内容で再度モチベーションを上げようと異動したのですが、仕事以前に心理的安全性が驚くほど低い組織だったからです。いわゆる絶滅危惧したかと思われた「脅迫」、「支配」をベースとしたマネジメントが行われていたのです。(この問題とは時間をかけて闘い、のちに解決に向けて進んでいくのですが別途このnoteでも共有しておきたいと思います。)この仕事の内容がハードである以前に働く組織環境に心理的安全性がない状態の不幸さを身に染みて体感することになるのです。

不惑40にして再び動きだす

私のキャリアの反省として大きく下記に挙げる3つの失敗があったと考えています。それぞれ説明します。

1. 30代以降のキャリアラダーを明確に言語化していなかったこと
2.    キャリアラダーの文脈で働く組織を選択していなかったこと
3.    外の世界に接することをやめてしまったこと

1. 30代以降のキャリアラダーを明確に言語化していなかったこと
30歳までに開発を束ねるリーダ(今でいうリードエンジニア)になるという目標は達成していました。それ以降のキャリラダーが、言語化できていませんでした。正確にいうと最短でエンジニアリングマネージャーになろうとしていたのですが、務めていた会社では通常もう10年弱の経験が必要であることや、マネジメント面で能力不足により少し足の長い目標になっていたように思います。会社の役職としても次はマネージャ職になっているのですが、その先が長く必要な経験、スキルを棚卸ししてステップとしてのキャリアラダーを言語化できていませんでした。会社に頼らず、キャリアラダーを自分自身で作成、メンテしておくべきだったと考えています。 

2.    キャリアラダーの文脈で働く組織を選択していなかったこと
私が社内公募した部署はかつて自分が成功体験を持っていた技術領域を事業ドメインで扱っている部署でしたが、具体的にいうと過去に画像処理が得意で成功した経験があったため、その技術を活用できると考えて異動したのですが実際に異動してみると担当する責任はソフトウェア全般の開発リーダー業務と付随するマネジメントに関する業務が中心の仕事でした。したがって専門技術を活用するという文脈がマッチしていないという状況でした。この点に関しては、専門技術を活用できなかったことより自身が積んできた経験をベースにキャリアラダーを描いて、キャリアラダーに照合して求職すべきであったと反省しています。

3.    外の世界に接することをやめてしまったこと
私は30歳前半、同期の中では少し遅めに結婚したのですが、結婚を期に生活ががらりと変わりました。自由時間として使えていた家での時間を家族との団らんや時には家事手伝いという時間に使う必要がでてきたのです。そのため、興味の赴くままに参加していた土日の勉強会やセミナに参加しなくなりました。こうして、外部での学びの機会を減らしてしまったことにより会社という閉じた組織での学びしかなくなってしまったことが後に問題だったと気づくようになりました。余談ですが、プログラマー30歳前半限界説というのは、スキル的な問題ではなく結婚により生活環境が変わってしまうことに起因しいているのではないかと考えています。

以上のような反省があったものの、40歳を間近に控えて、これからの生き方を改めて考えるようになりました。私が考えて行動した結果、何を学んでいったのか、共有していきます。

また、読書の記録、進行中ですが子育て論についても発信していきますのでご興味あれば参考にしていただければと思います。




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