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妥協とか全力とか<小説の書き方>
そんなことを書いてる人の記事が目に付いたので、いってみよー!
また頭真っ白即興執筆かよ?! はい、そのとーり!
その記事では
なんだか「処女作で小説家人生が決まる!」だとかすっごい重たい空気。
デビューを目指して真剣なんだね。うんうん、それは素晴らしい。
人生を小説に賭けるならそれくらい魂を乗せていこう。
でもちょっと立ち止まってみよう
なんで小説を書き始めたのか、忘れてないかな?
好きだから小説を書いている人がほとんどじゃない?
嫌いなのに小説を書いてる変人さんは窓から投げ捨てよう。
好きこそものの上手なれ。
好きなことを楽しんでこなすのが上達の秘訣だと思う。
だから人生を賭けることを否定はしないけど、ちょっと意気込み過ぎというか、気負い過ぎになってない?
「小説で成功しないと人生が終わる」とか、人生案外なんとかなるよ。
底辺に叩き付けられて泥水すすっても、割と生きていけるもんさー。
もっと気楽に肩の力を抜いて行こうぜ!
妥協って何だろう?
「全力を出さない」ってことなのかな?
私はいつも目いっぱい楽しんで空想して執筆してる。
頭はいつもフルスロットル。
エンジン全開でヒートアップ寸前です。
妥協してるとしたら、推敲が手抜きなくらいだろうか。
だって、見直しても「それ以上付け足すとぜい肉になる」って感覚が抜けないんだもん……。
削るところはないくらいシンプルな文章で、誤字脱字以外に直すところが見つからない。
たぶん「もっと良い表現はないか」とか、文章そのものに高い理想を持ってる人なんだろうな、と想像がつきますが。
そりゃあ作品の空気だとか、キャラクターの印象だとかをこじゃれた文章で表現できると気持ちいと思うけど。
それで評価されてる作家さんも多いと思うし、文芸評論家なんていう人たちはそういうところを見るんだろうけど。
私は自分の文章にそんなものを求めてないので、結果的に初稿が最終稿になります。ほとんどの場合はね。
読者からの反応で「ここはどうなってるの?」とか「ここが読みづらい」って言われると自動筆記先生が検討します。
彼が頷けば修正にGOサインが出ます。
まぁ反応自体が滅多にないんですが。
結局のところ
目線の高さの違い、見て居る場所が違うのでしょうね。
高みを目指してる人が「これじゃ足りない」って思うのはいいと思いますよ?
でもそれを表に出して周囲にプレッシャーを与えるのは、なんだかよくない気がします。
かっこいいことは黙ってこなすからかっこいい。
「俺はやるぜ!(お前もやるよな?!)」ってまるで周囲を威圧するような記事を書くのは、空気が悪くなるから好きじゃないです。
私は気楽なアマチュア小説家。
楽しく空想を書いて行くだけです。これからもね!
……プロになったらどうなるか?
ハンフリー・ボガードが呟いちゃいますよ?