見出し画像

読書記録【声の在りか】

声の在りか 寺地はるな
角川書店


今年一番、
突き刺さった小説かもしれない。

本の帯に
「自分の言葉を取り戻すために奮闘する女性を描いた、
大人の成長小説!」
「わたしの“声”を取り戻したい」
とあって、
目を引き、図書館で借りてみた。
主人公は、民間学童でパートをしている。
私自身が今、学童に通う小学生たちと関わる仕事をしているので、
そこも惹かれたポイントだと思う。

誰かに何か想定外のことを言われた時、
とっさに言葉を返すことができない。
何日も考えてようやく「ああ言ってやればよかった」という言葉を
見つけ出す。

P95

いつからこんなに「意見を交わす」ことがへたになったのだろう。
感情を言語化する、ということはたいへんな労力を要する作業で、すくなくともわたしにとっては大仕事、という思いが希和にはある。
これまでその労力を惜しんできたのだし、その結果こうして自分の言葉を持たない人間になってしまった。

P95

そうなんよな~~~
わかる。
なんだか胸が張り裂けそうなくらい、わかるのだ。
これ、多分、
わたしの半生、ずっと抱えている問題だと思う。
感情的にものを言える人って、
敵を作ったり、誤解されたりすることもあるのかもしれないけど、
やっぱりうらやましい。
自分の悪いところを出したくない、
人から嫌われたくない、って気持ちが強い自分を、
心底、どうしようもねぇな、と感じさせる文章だった。

わたしはこの子を支配できる。できてしまう。
(中略)
わたしが今この子に向けているのは、ほんとうに愛情だろうか、ほの暗い支配欲求にかられているだけなのではないか、
もしくはただの八つ当たりではないか、といつも頭の片隅で自分に問いかけてきた。

P98

主人公の希和が、我が子に向けた思い。
これ、私も全く同じことを思ったことがある。
今現在でもそうだけど、
他人には感情的に話せないのに、
子どもには烈火のごとく怒りを爆発させてしまった時とかね。
こんなきつい暴言、他人には言わないよな。
我が子だからこんな風に怒りを爆発させてるけど、
実はこれ、わたしのただの八つ当たりなんじゃ?
支配欲のかたまりなのでは?
なんて考えて、気分が悪くなることがある。

子どもと接する仕事をしているとなおさらで、
自分が怖くなることもある。

春基を自由にしてあげたい。手足を存分に伸ばして、楽に呼吸ができるようにしてあげたい。だってわたしは親だから、と希和は思う。親だから、子供を幸せにしたい。
でも親の手から差し出した瞬間に、それはもう自由ではなくなってしまう。春基自身が戦って獲得しなければ意味がない。親の出る幕じゃない。

p219

娘たちが生まれてから、
親のわたしはどこまで手を出すのが正解なのか、
悩むことが多々あった。
現在進行形でね。
多分これからも、出る幕、出ない幕、
悩むことはあるんだろうけど。
見守ることしかできないなら、
しっかり目を開いていよう。
そんな風に思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?