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俺ガイル完11話感想 比企谷の優しさエグさかっこよさ

俺ガイル完11話を観て、いたく心を揺すぶられた。

私は昨年11月に、俺ガイルのアニメを初めて視聴してから沼った人間なので、まだまだファン歴は浅く、すでに完結している原作についても、俺ガイル完のアニメの進行に並行して読み進めている。

アニメの完結のあと、今のぐちゃぐちゃな頭を整理してから感想を書き出そうかと考えていたが、この胸アツでほとぼり冷めやらぬ気持ちを書きとどめておこうと思う。

あと、先に言っておくと、私はガハマ推しです。ヒッキーとガハマさんの関係を中心に書いています。

比企谷八幡の告白

端的に言えば、すごくカッコよかった。どこまでも比企谷らしく、そして比企谷の成長が感じられる告白シーンだった。言葉に流され、誤魔化し、無責任な自分でいることを必死に拒否してきた比企谷の誠実さが詰まっていたと思う。

言葉を安直に使う無責任さを嫌う比企谷は、雪ノ下にやっぱり「好き」とは言わなかった。自分にできないことを潰し、できることを明らかにしながら、自分の気持ちの核心に迫り、想いを伝えようとした。告白というよりは、「恋人になるという契約」を交わそうとしていたようにも見えた。

人生歪める対価には足りないだろうけど、まぁ、全部やる。いらなかったら捨ててくれ。面倒だったら忘れていい。こっちで勝手にやるから返事も別にしなくていい。

すごくまわりくどく見えるやり方だが、自分の想いの核を差し出すにはこれ以上ない告白であるように思う。平塚先生の言っていた「計算しかできないなら、計算しつくせ。全部の答えを出して、消去法で一つずつ潰せ。残ったものが、君の答えだ。」を実践してきた比企谷だからこその、誠実さに満ちていて、かっこいい告白に思えた。

比企谷の告白を受け入れること

比企谷の想いは由比ヶ浜ではなく、雪ノ下にむけられた。しかし、正直に言って今の私には、比企谷が雪ノ下に想いを寄せていった決定的な理由がわからない。明確なターニングポイントはどこにあっただろうか。俺ガイルを一から、注意深く読み直さないとこの答えは得られないように思う。

ただ、比企谷が由比ヶ浜ではなく雪ノ下に想いを寄せていったのは、比企谷の考え方、そしてこの三人の関係の自然な収斂であるようにも感じている。

少なくとも比企谷がいま、自分のやり方で想いを伝えられるのは、間違いなく雪ノ下だけだったと思う。

放課後の公園で、比企谷と由比ヶ浜がベンチで話すシーンに触れたい。原作の発言についても取り上げる。


雪ノ下との関わりがなくなることが嫌な比企谷は、それを雪ノ下に伝えることを考える。

「俺もあいつも、いろんな予防線とか言い訳とか建前とか、わかりやすい肩書とか逃げ道いくらでも用意してるからな。……まずはそれを全部潰す」
「そういうことじゃないと思う」
「一言いえばいいだけなのに」
「一言程度で伝わるかよ」

自分の感情をきちんと伝えられる由比ヶ浜は、比企谷の回りくどいやり方を「そういうことじゃないと思う」と否定する。

由比ヶ浜は内心、比企谷が回りくどくない方法で気持ちを伝えられるようになることを期待している。それをいつも待っている。

彼女はいつも待ってくれていたのだ。俺を、あるいは俺たちを。 

回りくどくて面倒くさいのは、雪ノ下も同じだ。

それでも優しく自分を待ってくれる由比ヶ浜に対して。

本当に仕方ない奴だと思う。いつもこうして面倒なことを押し付けては、そのたびに許してもらっていた。俺はこれまで彼女の優しさにずっと甘えていたのだ。心地良さに微睡んで、蓋をして見ないふりをして、ずっと助けられてきた。その日々はかけがえないくらいに大切で、掛け値なしに楽しくて、どこまでも都合のいい想像を抱いてしまうくらいに幸福じみていた。

「いつかもっとうまくやれるようになる。こんな言葉や理屈をこねくり回さなくても、ちゃんと伝えられて、ちゃんと受け止められるように、たぶんそのうちなると思う」

まとまりきらない言葉を、ゆっくり慎重に口にする。いずれ、俺が少しはマシな大人の男になれば、こんなことだって躊躇わずに言えるようになるのかもしれない。もっと別の言葉を、違う気持ちをちゃんと伝えられるようになるのかもしれない。

「……けど、お前はそれを待たなくていい」

比企谷は、自分を待たせてしまう由比ヶ浜に、いまの自分では誠実に言葉を伝えられないことをはっきりと自覚する。ずっと待たせてきた由比ヶ浜に対して、「けど、お前はそれを待たなくていい」と言う。比企谷にとっては、それがいま由比ヶ浜に対してできる誠実さの限界だったのだろう。

いまの不器用な比企谷でも、由比ヶ浜はきっと優しく受け入れるだろう。でも、本物を求める比企谷は、由比ヶ浜を待たせ続けることに耐えられなかった。

比企谷のかっこいい告白は、自分と同じ、不器用で人に想いを伝えることが下手な雪ノ下に対してこそのものだったと思う。

いまいちど、比企谷に思うこと  『傷つける覚悟』

雪ノ下への告白はまじで震えるほどカッコよかったのだが、それでも今どうしても比企谷に言いたいことがある。

由比ヶ浜に言った「けど、お前はそれを待たなくていい」について。比企谷が由比ヶ浜に対する優しさからかけた言葉だ。
しかし、この発言は残酷でもある。

比企谷がこれ以上自分を無理に待ち続けてほしくなかったのだとしても、由比ヶ浜が無理をしてでも待ち続けたのは、比企谷のことを想っていたからこそだ。由比ヶ浜のとびきりの優しさの表れと言えるだろう。

確かにその優しさを拒否することは、比企谷にとってのけじめではあると思う。しかし同時に、それは明確に由比ヶ浜を傷つける行為だ。
先の発言を「とりとめのない言葉すぎた」と形容した比企谷に、由比ヶ浜を傷つける覚悟があったのか、どうしても疑問に思ってしまう。

というのも、私は平塚先生の言葉が強烈に記憶に残っているからだ。

「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をするということだよ」

比企谷の行動はずっと平塚先生の言葉に立脚していた。先にも触れたが、比企谷が本物を求めて取ってきた行動も「計算しかできないなら、計算しつくせ。全部の答えを出して、消去法で一つずつ潰せ。残ったものが、君の答えだ。」という言葉の実践と言えると思う。

そして、比企谷がプロムを終えて三人の関係を終わらせるために行動を始めたのも「どんな言葉でもどんな行動でもいいんだ。その一つ一つをドットみたいに集めて、君なりの答えを紡げばいい。キャンバスの全部を埋めて、残った空白が言葉の形を取るかもしれない」という平塚先生の言葉あってこそだ。

先の平塚先生の言葉については、比企谷はどう受け止めているのだろう。

ただ、比企谷は三人の関係に対して行動を起こすにあたって、こう決心している。

だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に。故意に間違う俺の青春を、終わらせるのだ。

比企谷が最終話で、二人にどう接し、三人の関係をどう終わらせるのか。私の疑問の答えもそこにあるのではないかと思う。

おわりに

俺ガイル完11話は本当に鮮烈で、忙しいにも関わらず、色々な考えが巡った。そんなこんなで、最終話放送当日になってしまった。

この感想に書ききれないようなこともたくさん考えて、
「俺は知らず知らず三人が本物を求めていると思っていたけれど、やっぱり比企谷なんだな」とか
「実のところ雪ノ下の言動が、いちばん自分に近いかもしれないな」とか「由比ヶ浜が初期に言ってた『てゆうかさ、ヒッキーもゆきのんと話すときって内輪ノリじゃん?あたし入れないな〜って思うときあるし』って超重要発言だったな」とか
いろいろあるのだけど、最終話を観てから諸々整理したいと思う。

それにしても『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』、タイトルでなんとなく敬遠してきたけど、いざ観てみたらどっぷりハマってしまったな・・・。

また俺ガイル関連の記事を書くかもしれません。その時はぜひ、また読んでいただけると幸いです。

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