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待つ

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太宰治の作品に「待つ」という短い小説がある。初めて読んだのは高校生の頃だった。
びっくりした。これは私だ、と思ったのだ。

あの当時、私は待っていた。

私を連れ出してくれる人を、私は待っていた。

毎朝、決まった時間に家を出て、自転車に乗って友達と学校に向かう。甲府盆地は夏は灼熱の太陽がじりじりと照らし、冬は自転車をこいでいると素足の部分が風で真っ赤になるほどに寒く、締め切った教室は息もできないぐらいに苦しくて、早く春になって欲しいと思ったのだった。
クラス委員だった私は、教室に着くと学生鞄を置いて、職員室に向かった。出席簿をとって、今日の行事を確認してお辞儀をして出ていく。あまりに正確に毎日現れるから、先生方は私を見て時間を確認したのだと後から聞いた。

クラスの副委員長として、高校3年間同じ朝を過ごしていた。

クラスでの揉め事、男子と女子の席替えなど、私にはどうでもいいことだったが、案件があると委員長から「なんとかして」と頼まれる。「自分で言えばいいじゃない」「そうはいかないから頼んでいるんだよ」文系で女子が多かったから男子は部が悪い。ホームルームで議題に挙げて、ブーブー言う中、お互いの意見を調整して妥協できるところに決着させていった。学園祭の時に、御神輿がどうとか、法被がどうとか、なんだか忘れたが、すごい戦いになってしまった時に、仲裁が出来ず、どっちでもいいんじゃない?と言ったら、ハブにされた。マジか、と思った。私とその仲間たちがハブになることで、その戦いは治ったからそれはそれでよかったのかもしれないが、学園祭当日はさんざんだった。とにかくクラスメイトに見つからないようにしないといけない。。。。

学校では判で押したような優等生の仮面をかぶって生きるのは、割り切ってしまえば楽だった。自分で自分の役割を決めて、その中で生活をしていく。毎日、同じことを繰り返す。

学校での生活は退屈だった。

ある日、筆箱がバタンと落ちて、きゃーって驚いているのをぼんやり見ていると、「なんでびっくりしないのー?いっつも冷静だよねー。驚いた顔を見たことがない」と言われた。私にはスローモーションのように見えているのだろうか。彼女たちと見えている世界が違うのか。
私から言わせたら、なぜあんなに女子はワーきゃー言うんだろう?ですよ。

担任の教師から何かクラスで問題があると「あなたから言って聞かせて」と言われた。「それは委員長の仕事ではないですか?」と言うと「頼りにならないからいっているのよ。あなたから言って」と、よくわからないことを頼まれたり、他の人がやるはずだったことを「かわいそうだから、あなたがやりなさい」と言われたりすることが増えた。
随分と理不尽だなぁ、と思ったけれど、そうやって引き受けるべきなんだろう、といろんなことを引き受けてきた。
そうするうちに、他の人が辛いと思うことでも、自分は対して辛いとか思わないんだなぁとか、なぜそんなに嫌だっていうんだろう、その嫌って言葉が嫌だなぁとか思っているうちに、だんだんとめんどくさくなって黙って引き受けることにした。

そう、私はいちいち「感じることをやめる」ことにした。

なんとも思わない日常が続いたけれど、気がつくと、体の中にドロドロした黒い闇が増えていった。最初は予感のようなものだったかもしれない、でも、ハッと気づくと自分の心の中に真っ黒な蝶がいて鱗粉のぎっしりついた羽や黄色の模様が見えた。バタバタと羽ばたこうとしているのが上がってきて、喉が苦しくなった。感情が抑えられなくなってしまう。口を開くまいと思った。口を開いたら、そこから蝶が飛び出る。それはすごい勢いで、視界を塞ぐぐらいの量で飛び出て闇をつくっていってしまう。

誰も私に近づかないで、ちょっとでも近づくと殺してしまうよ。

私は困惑していた。

私でないものに、私はなっていて、そして、その私にのっとられそうで、自分はどこに行ってしまったのだろうと思うのだった。

毎日、同じ時間に出席簿を取りにいき、立礼の号令をかける日々。窓から見える景色はいつも同じで、中庭の樹々をぼんやり眺めていた。

「なっちゃん」と架空の名前を呼んでみる。

私を何処かに連れていって

誰か、私をここから連れ出して、菜の花畑に連れていって。あの青くて黄色い匂いを胸いっぱい吸い込みながら、揺らぐ春の陽の光の中で笑っていたい。

来る日も来る日も待っていた。

そのうち恋人が出来るようになって、私をどこかに連れていってくれるのだろうか?と思った。

私はどこまでも傲慢で、わがままで不安定で、切れそうな糸のように張り詰めているから、タガが外れたら壊れてしまうのではないか、と彼は思っていたようだった。

そして、ある時、気づいた。恋人は私を何処かに連れていってはくれない、ということを。

もしも、そういう人がいるとするのだとしたら、それは恋人ではない、という確信があった。

だったら、いったい誰が、私を見つけてくれるの?

私は待っていた。来る日も来る日も、出勤簿を取りにいきながら待っていた。私の運命を変えてくれる人が現れることを、待っていた。

ある日、図書館でパラパラと学校案内を見ていると、海の見える高台の学校が目に入った。レンガ造りの素敵なキャンパスに心が躍った。海のない山に囲まれたところで暮らしていたから、海の匂いを感じるだけで目眩がするほどに憧れた。

そして、はっと気づいた。

私を連れ出すのは私しかいないことに。

「決めている」私の頑固さと貫く強情っぷりは、家族に伝わり、「受けるなら、一校しか受けるな」と言われ、交渉に勝った。

その夏は、自分の人生で一番勉強した夏だった。秋になり学校に行くと、優等生だったことが功を制して、「推薦出来るわよ」と言われ、あっけなく、推薦で入学が決まった。

私は、優等生から自分を開放する切符を手に入れて、自分が待っている自分になるために、一歩を踏み出したのであった。



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