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ぼんやり、の発見

9月に、軽く追突事故に遭いまして、ムチウチの治療に通っておりました。
2ヶ月半経って、体調も良くなり、昨日ようやく「もうほぼ完璧に(筋肉の硬くなったのが)とれましたよ」と言われ、今朝はホッとしています。

初めて交通事故に遭って、色々びっくりしたことがありました。

びっくり1・警察の人は以外とテキトーだった(もっとガッチガチに厳しいのかと思ってた)

びっくり2・保険の手続きは書類を書くのが大変だ(怪我人にこんなにたくさんかつ詳しく書かせるのか!鬼や!と思った)

びっくり3・自分より周囲の人のほうが怒ってた(事故って、色んな記憶や感情を掻き立てるものなのですね…)

そして、何より驚いたのが
びっくり4・事故後にすごくぼんやりした(かつてない経験)
ということでした。

どのぐらいぼんやりか

・すき焼きの生卵を、4人分割ろうとして、同じ取皿に三個割り入れる。

・コンビニコピー機を使って、原稿だけを持ち帰って、コピーしたものを置き忘れる。(原稿の置き忘れはよくやるけど、逆は初。)

・習い事に送って行って、子供の荷物を手に持ったまま、見送る。

というぐらい、ぼんやりした日々が、3週間ぐらい続きました。

そして、これはすごく良いことがわかったなぁ!ということでノートに記録しようと思いました。

何故かというと、このぼんやりの具合が、普段のウチの娘とそっくりだったので『なるほど!こんな感じなのかー』とやっと解って嬉しかったのです。

転がる岩的な、ぼんやり

いつも、『なんでこの子はこんなにウッカリしてるんだろうなぁ』と不思議に思っていたのですが、今回、事故に遭って初めてその感覚がわかりました。

意識がフワーッとしていて、気づいたら何か忘れたり、手が勝手に意図と違うことをしているのです。

レコードの音飛びに似ているかもしれません。フッと記憶や時間が飛び飛びになる感じです。
さっきまでしようとしていたことを、意識上ではすっぽかして、その間、身体は動き続けます。

よく、娘がテストで不思議な誤字をしてくるのですが、手が勝手に違う字を書いてるのだと言います。

そんなバカな⁈と思っていましたが、本当にそうなんだなと理解できました。

「こんなことをした覚えが無い」
「途中まで用事を覚えてたのに、忘れて、次のことをしてた」

そんな風に、時と身体が止まらないぼんやりなのです。

浦島太郎的な、ぼんやり

ちなみに、私も昔からよく遅刻したり、景色を見ていて人の話を聞いて無かったりするのですが、これは娘のぼんやりとは違ったんだなということもわかりました。

たとえば、窓の外を見ると雲の変化を観察してしまって、ずっと空を見てしまう。

こんなぼんやり中は、目先のことだけに集中していて、感覚の中では時間が流れていません。

「あれ?いつの間にこんな駅まで?」「おや?もうこんな時間なの?」

気づけば時だけが過ぎている、ぼんやりなのでした。

ぼんやりしてみて わかったこと

首や肩のコリが取れるにつれて、私の「止まらないぼんやり」は消えていきました。
日常の細々したこと(料理や、ATMの操作や、書類作成など)が普通にストレス無くできるようになりました。

逆に考えれば、日常は細かな作業のストレスでいっぱいということで…

事故のショックや、色々な日常のストレスから距離を置くために「ぼんやり」は必要だったのかもしれません。

また、自分が高齢者になった時、日常の作業がどれほどストレスになるか、ということも想像しました。

例えば、
お財布の中のカード、何枚あってもサッと見つけ出せるかな?
メールアドレスやアカウント、いくつも管理できるかな?
お仕事の対応、何件も並行してメールや日程を管理できるかな?

そういう生活のアレコレを見直して、少なくしておくのは大事なことだなと思い、あまり使っていない銀行口座を減らしたり、スマホのアプリを整理したりして、少し身の回りがスッキリしました。

もう一つスッキリしたこと。

娘のテストの不思議なミスを何とか減らしたいと、色々思い悩んでいたのですが…これはもう仕方ないんだなと思えたことで、気持ちがスッキリしました(笑)

来年は受験生ですが、ぼんやりで良いので彼女なりに頑張ってくれたらいいな〜、と思います。

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