詩を感じ、風を切る


 文章についての多くは十代の頃、高橋薫という作家から学んだ。僕は彼の小説の粗方を高校時代に読み、そしてその文体を理解し模倣しようと努めた。彼は余り広く知られたタイプの作家ではないし、文學界の新人賞を獲った『君の時差』とそれから出た何冊か以外は余り好調とはいえない売れ行きと作家人生を辿っていた。それでも僕は彼の私小説とされる『星の井戸』をこよなく愛し、何度も読み込んだ。僕が彼の作品を初めて手に取ったのは神保町の古本屋で殆んど投げ売りされていたラックの中でも一際誰かに読み込まれた形跡のあるそのぼろぼろな『星の井戸』を見つけた時だ。物語は単調で、起伏も無く平凡なものだったが彼は具体と抽象を繰り返しながら文章を武器として読者に何かを訴えかけていた。

 僕がものを書こうと思い立ったのは2013年の夏ことだ。僕はその日両国国技館にいた。内藤哲也選手が棚橋弘至選手から3カウントを獲った。試合終了後のマイクで直近の怪我や不振について触れながらも自分が団体の主役であると高らかに宣言した。僕はそれを会場で聞いてもの書きになることを決意した。

 高橋薫について。彼は生まれつきの酷い皮膚病を患っていて幼少の頃からそれについてよく考え、そういう状態の自分に課された天命を知ろうとしていた。彼は彼のエッセイでこう語っている。
「文章を書く時に必要なのは語彙力や表現の引き出しでは無く、どう認識するかだ。認識と事実には必ず大きな溝がある。事実は曲げられないが、その溝の深さや広さはいつだって自分で決められる。自分の認識について知れば、自ずとそれに相応しい表現を提示できるだろう」-『どうせなら祝杯を』

 社会人二年目の頃、僕は上司と訪れた出張先の大阪である邂逅を果たした。大阪に入った初日は明日の段取りを再確認し、僕たちは夜の街に出た。初めて行く北新地はその輝きと異様な雰囲気に飲まれ、あまりよく分からないまま上司について行き、キャバクラに入った。僕はそこまでそういった経験が無かったのであらゆることを彼に任せ、適当に過ごそうと思っていた。よくわからないレモンの匂いがするおしぼりを受け取り、指定された席で僕は時計を気にしていた。偉そうなボーイに連れられてきたホステスは高校時代に付き合っていた女の子だった。胸元に大きな月のタトゥーが入っていたこと、露出の激しいミッドナイトブルーのドレスを着ていたことを抜きにすれば殆んど当時と変わらない出立ちで彼女は現れたので、僕はすぐに彼女だと分かった。彼女も僕に気がついたようだったが、互いによそよそしく接した。その方がいいと互いに咄嗟に判断したのだろう。彼女が席を立って暫くすると僕の携帯に彼女からのメールが入った。
「こんなところで会うなんてね。先輩と楽しくやってる中で私が来たら邪魔かな、なんて思ったけど空気を壊さないように適当に合わせただけなの、気を悪くしていたらごめんなさい。よかったらこの後会えない?」
僕はこのメールを返さなかった。

 僕は高校時代に三人の女の子と付き合った。最初の子は数週間でなんとなく気まずくなって自然と関わらなくなっていった。二番目の子は若気の至りで結婚やなんやについてよく話していた。そんな関係だったが彼女が僕の友人と寝たことが分かったので一年と少しで僕たちの関係は終わった。たった一度の過ちじゃないか、と彼らは僕に言ってきたが僕はどうしても許せる気がしなかったので僕は彼らについて考えないように努めた。三番目の子が後に北新地で再会することになる子で彼女は僕の先輩の彼女だった。彼女は大学進学の際に東京を離れ、どこかへ行ってしまい彼女が卒業した三月にぱたりと僕たちは終わった。僕も残りの高校生活を先輩の彼女を取った野蛮人として見られ、気まずい一年間を過ごし僕も京都の大学へ逃げるように進学した。関西の土地勘が全くない僕でも京都と大阪はそこまで離れていないことを知っていたが、もう一度連絡するのがなんとなく気後れがして忘れてしまうことにした。

 僕は平日に大学の授業についての勉強の殆んどを終えてしまうので日曜日はとても孤独で静かで虚しいものだった。京都で始めた一人暮らしは親が見つけてきた学生向けのアパートでトイレが浴室にあることを除いては特に不満はなかった。僕は新しい環境で新しく強い自分になろうとしていた。ビートルズが常に流れている喫茶店でアルバイトを始め、次第に店長から仕事を任されるようになり一人で店にいる時間も増えた。余りに暇な時はカウンターで多くの小説を読んだ。サリンジャー、サン・テグジュペリ、村上春樹が取り分け好みだった。

 最後にもう一度だけ文章について書く。京都時代に読んだ多くの作品より高橋薫のたったその数冊が僕の今の文体を作っただろう。文章を書くとはとりもなおさず、適切な認識を反映させるということにある。文章としての精度や誰かからの評価は現状の僕は必要としていない。ただ正しい認識を重ね、自分にとって適切な言葉を見つけていく。そうすることでしか僕は救われないのだ。

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