黄色い森の中の蛹


 夕立が過ぎて、街路樹の落ち葉は湿っていた。踏むとギシギシと音を立てて、落ちる前まで鮮やかな黄色だった葉が通り行く人々の靴の汚れを含み、道路の黒と重なっていた。ここへ来たのは四年ぶりになる。最後に来た時と自分は今ではまるで別人な気がした。当時なかった髭を蓄え、喫煙習慣も身に付き、なにより今日の僕は一人だった。

 話せば長いことだが、僕は21歳になる。17歳の時とはまるで違うが、充分まだ若くあるが当時のような無鉄砲さやは身体の底から湧き上がってくる何かはもう持っていない。
左手の指が四本しかない少女が主人公の映画にこういう台詞があった。
「若さとは視野の狭さことだ。それしか見えていないから若者は突っ走れる。あれこれ考え出すようになればそれはもう若くないということだ」
高校二年の終わり、僕の知らないうちに恋愛をして別れた報告だけくれた友人と観に行った恋愛映画だ。当時なんとも思わなかった台詞だが、こうした郷愁と共にふと思い出された。

電話が鳴った。
「明日は何してる?」
「取り敢えず3限はもう欠席できないから、それだけ出てその後は暇してるよ」
「飲みに行かないか?」
「喜んで。いつも通り渋谷。降りてすぐのマークシティの脇あたりで」
返事もなかったが、電話の切れた音がした。彼はいつもそうやって最後の返事を省略して電話を切る癖があった。

 彼は村上春樹のダンス・ダンス・ダンスのTシャツによく履き込まれたデニムという出立ちで現れた。彼の大学の友人がこのあたりでバイトをしていて、今日は店長がいないと言うのでこっそりサービスしてくれるらしくそこに入ることにした。
僕たちはビールを頼み、突き出しとは別で何も言っていないのに出てきた唐揚げ、炙りエイヒレ、たこわさを肴にした。
「結局、忘れられないんだよ。あいつのこと」
彼は酔いが回るといつもそう言った。あいつ、とは高校時代に付き合っていた部活の後輩のことで彼の初体験の相手だった。
「忘れられないって言ったってもう別れて暫く経つし、お前にも今別の子がいるじゃないか」
「どうしたって比較してしまうんだよ。残像は美しく見えるだろ」
そういうやり取りをしながら僕も高校時代に付き合っていた初体験の相手のことを思い出していた。

 僕がその子と付き合ったのは冬の終わりで、終業式の終わりだった。彼女とは同じクラスで、その日僕たちはクラスの打ち上げで池袋にある安さだけが取り柄のもんじゃ焼き屋にいた。門限が厳しい女子達が帰りを促して、僕たちは店を出てそれぞれの家路を歩いていると彼女は僕を呼び止めてきた。
直接的な言葉を聞く前から周りの雰囲気で僕は要件を察してその日から付き合うことになり、春休み中に何度かデートをした。多分デートと呼んでいいものだったと思う。目的もなく山手線を一周してみたり、何度か学校の周りを歩いてみたりした。僕たちの学校は外苑前にあり、神宮球場のバッティングセンターに行ったり、千駄ヶ谷方面や青山一丁目まで行き、季節外れの銀杏並木を歩いた。そして疲れると決まって、世田谷にある彼女の家に行き、彼女の本棚から浅野いにおの『うみべの女の子』を読んだり、借りてきた映画を観た。その何度目かに僕たちは寝た。

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