ネジを巻く


 カーテンを開けると冷たい雨の降る月曜日だった。やれやれ、週初めからより一層ブルーになるなと感じながら僕は支度を始めた。ベットから出て歯を磨き、髭を剃って、トーストにバターを塗った。テレビは朝から数年前に引退したプロ野球選手の逮捕騒動について口うるさく話していた。僕はまた少し気分が沈んでテレビを消して、着替えた。家を出て、大学に着くまで大体三十分ほど掛かるので僕はゆっくりネジを巻くことにした。

 都営新宿線はいつも通り混雑していて、蒸れた加齢臭が車内に立ち籠めていた。目的の駅に着く少し前、多くの人が乗り換えやらで降りて行き僕は数駅の間だが座ることにした。ぼんやりと金曜日に起きたことを思い出す。
彼女は二十歳になって、僕はもう少しの間十九歳を続けることになる。こうして自分だけいつも二週間ばかり先に年老いて行って、私ばっかりひとつ早い便で先を行かされると嘆いていた。僕の方が常に置いていかれている、と答えて少しの沈黙の後彼女は泣き出した。彼女が感情を露わにして取り乱すのを見たことがなかったので僕は少し驚いたが黙って彼女の傍にいることにした。誕生日祝いに用意した安物のシャンパンは気が抜けているのが見てわかった。彼女がようやく落ち着いた頃、彼女は父親が闘病中でもう長くないこと、父子家庭として育ったので何もかもを失う気がすると教えてくれた。どれも初めて聞くことだったが、兎に角僕は黙って聞いていた。
「ずっと傍にいてくれる人なんていないのよ」
彼女はそう言って僕と寝た。

 目的の駅に着いたアナウンスが流れ、僕は電車を降りた。あの日起きたことが何だったのか僕にはよく分からない。彼女が本当にそうしたかったのか、これからどう向き合えば良いのかは分からないので、僕は気持ちの整理のために駅の自販機でコーヒーを買い、一先ず大学の喫煙所に向かうことにした。僕は傘を閉じて、本館の喫煙所の椅子に座る。ブレザーの内ポケットからピースライトを取り出した。雨の日に吸う煙草は程よく湿っている為か、味わい深い気がする。その日の授業を適当に受け、マズロウの五大欲求や統計の取り方など教授が話しているのを聞き流し、僕はノートにありのままの気持ちを記そうとした。

「僕には色んなことがよく分からないし、分かろうと努めているけれどそれは君にとって思い切り的外れなことかもしれない。ただ、一つ分かることは僕たちは互いについて知らなさすぎる。もし、君が僕に対して根気よく一つひとつを説明してくれるのなら僕なりにベストを尽くすつもりだし、何かを失う悲しみを埋めるだけのものを自分なりに探すつもりだ。君の気が済むまで離れないことを約束出来るだけ親しくはないのかもしれないけれど、親しくしているうちに少なからず惹かれている気持ちもあったし同じように感じてくれているなら僕たちはきっと互いの不安を打ち消しあえるだろう」

ノートを閉じて、教室を出て僕はいつも彼女と待ち合わせをしている学食に向かった。後ろから教授が僕に何か言っていた気がしたが僕は気にせず出て行った。学食はまだ時間が早いのか人は少なく、懸命に試験の勉強をしている人や有名な仮面浪人生が必死に赤本と格闘していた。彼女はニ限が終わって少し経った頃にやってくる。使用教室の関係でいつもは僕の方が遅れて来るのだから彼女は驚くだろうか。授業の終わりのチャイムが鳴り少しずつ学食には人が流れ込んできた。僕は彼女を待って食券も買わずにずっと座っていたのだが、結局彼女は現れなかった。やれやれ、結局ずっと心構えを準備していただけで巻き続けたネジは結局僕に動作させないままだった。

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