稽古会に参加してみて。

今日はとある稽古会でシェイクスピア作『テンペスト』のエアリアル役を演じました。
エアリアルってまあパックみたいな妖精っていうか人
外な訳で演じるにあたってまず1番目の落とし穴は「オイラパックだ〜い!」みたいな演技をしちゃうこと。
「オイラ悪戯大好きだ〜い!」みたいな芝居をまずし
ないように気を付けました。
エアリアルは人間ではなくても人間とちゃんとコミュニケーション出来る生き物なので。
実際プロスペローに仕えている。
つまり妖精でも人間と同じ見聞きするのだから自分もまずはフラットに決め打ちせずに見聞きする。
そしたらすぐにエアリアルはプロスペローに使役されるのが嫌いなんだなと身体が教えてくれた。
やっぱり何事もピュアに受け取れば身体が勝手に反応して解釈へと導いてくれるなと実感。

Breaking the backを繰り返しながら改めて分かった
けど俳優は読み合わせするとき殆ど相手を見ない。
見てもチラ見。
相手を見聞きするコミュニケーションではなく自分のプラン通りに、一般常識的な観客が納得して受け入れてくれるようにパフォーマンスとして"正しく"読もうとする。

それも結局はちゃんと伝わるか(もっと言えば自分の存在を認めてくれるか)という恐怖病なんだなと思う。

それと同じようにエアリアルやパックを演るとなると途端に俳優はわかりやすく「オイラお調子者だ〜い!」ってパフオーマンスをする。
そして相手役との間に何も起きない。
プランとプランの衝突のみ。

ちなみに「オイラパック」って芝居してもそのキャラクターの濃度は徐々に下がっていく。下がってるなって本人が気付いてまた濃くなるけどすぐ薄くなるか。
何故持続性がないのか。
何故ならそうした「オイラパック」というキャラ芝居に必然性も必要性もないから。
人間は必然性のないものには従わないし必要性のないことはやらない。
深層心理にまで行き届くような要素ではないから。
それはキャラクターではなくただの思いつき(アイディア)。
つまり定着しない頭で考えた思いつきを身体が吐き出そうしてるんだと思う。

もっと厄介なのは俳優同士がこう来たらこう返してみよう(そうすると演出家が喜びないし納得してくれるはず)ってプランやアイディアを出し合う。
でもエアリアルやキャリバンは人外だけど人間のように見聞きするように先にアイディアやプランを持って他者とコミュニケーションしない。
リアリズム演技とは原則としてノープラン、ノーアイデイアだと思う。
だって日常会話はノープランでノーアイディアだから。
スコット・ウィリアムズもしつこくアイディアはなし!
と言っていた。
しかし俳優同士でプランを出し合うとなんか共同作業っていうか、芝居を構築していっているような錯覚に陥るんですなー。
でもそれは全力で迷子になっていっていると思う。

ラスト演出家から説明台詞のイメージをもっと膨らませて欲しいと要望があった。
即発表だったのでトライするチャンスがなく発表でいきなり"気合い"で表現してみた。
蜷川演出とかでよく見られる"気合い"ですね。
言い方を変えるとさも感じているかのような分かりやすいニュアンス芝居だったんだけどフィードバックのときにそれが受けてしまった。

やっぱり人は分かりやすさという魅力には抗い難いんだなーって思いました。
自分は分かりやすさに抗っていきたいなって思いま

でもBreaking the backだけでは詩的な表現や説明台詞を表現しきれないのもまた事実。
対処としてはやっぱりBreaking the back準備①「シーン前に役が知っていること」にそうした説明部分を整理して落とし込んだら良いんじゃないかなって思いました。
Breaking the backを繰り返しいけば自ずとテクニックの有効性と弱点が学べる。
特に弱点は滅茶苦茶大事。
それを別のテクニックで克服する事でよりBreaking
the backからも自由になりないなって思う。

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