『冬の花火』稽古会参加してみて。

俳優はどうして孤立してしまうんだろうということを考えていました。

演劇ってコミュニケーションの芸術だと思うんですけどついつい俳優は孤立してしまっているんじゃないかなって感じる。
自分のテーマに対する使命感やテクニックや自分の顔立ちや声やスタイルや所作の美しさを見せるために芝居(コミュニケーションではなくパフォーマンス)をしてると見やすいけど孤独を感じてしまう。

だってテーマもテクニックも身体の美しさも全部コミュニケーションとは何の関係もないじゃないですか。それはコミュニケーションではなくパフォーマンス。
日常会話でそれらを表現したらなんか相当変な人になると思う。

でも結構そうしたことをパフォーマンスとして表現する為にお芝居をしてるって方も沢山いるけどそうしたものを背負い込むと途端に人は頑なになり相手を見聞き出来ずに他人から影響を受けづらくなってる印象が受ける。

テーマを伝えなければという義務感は凄く切実だけどそれは実は受け取る側の領分だから別に俳優自身が責任を持つ必要なんて全然ないんじゃないかなって思う。
だって人はテーマの為に生きてる訳じゃないし。
それは観た側が勝手に想像していくものじゃないのかなって思う。
俳優の領分とはコミュニケーションであって正直相手とコミュニケーションしていくのにおいてはそうした自意識は荷物でしかないと思う。

最近は俳優の仕事って引き算だなって考える様になりました。
プランもアイディアも常識も自意識もテーマも全て引いていって可能な限り空っぽの状態を目指す。
そうするとそれだけ相手役から影響が受けやすくなる。
影響されて衝動に突き動かされていくのを観客が観て初めてシーンやテーマやキャラクターや解釈が観客の内面に宿っていく。
観客も受けて反応していくというところもまさにコミュニケーションの芸術だと思う。

俳優はスーパーマンではないので限られたキャパシティの中で何に全力を注ぐかが問われると思う。
なので俳優は相手役とのコミュニケーションに集中するべきだと思う。
舞台芸術は分担作業なので自分がなすべきパートの中で如何に注力するかが大事だと思う。
余計なものは背負わないし持ち込まない。

自分よりも他人(相手役や演出家や観客)を信じる方が自分では想像し得ない豊かさを生み出せるのではと思う。
俳優の仕事はコミュニケーションであって自分の領分を弁えた方が実は結果としてやりやすくなるんじゃないかなって思う。

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