1日リーディング公演「かもめ」フィードバック

今日は王子小劇場主催の1日リーディング公演「かもめ」に参加してきました。

アントン・チェーホフ「かもめ」のマーシャ役を演じました。ジェンダー関係なしのくじ引き配役だったのです。

「かもめ」マーシャ役のステレオタイプと言えば"幸薄い女性"というイメージなのですが勿論Breaking the back(台本の背骨を折る)テクニックを使用するのでそんなのは無視して一切の解釈を持たずノープラン・ノーアイディアで挑みました。

主に発見したことを書きますが演じてみての感想はマーシャという女性はとにかく深い感情を持った人物なのだということでした。
ドールンにトレープレフへの愛を告げると自然と涙が流れたりして凄く感じ易い方なんだなという印象。
1幕の劇中劇の"孤独"というキーワードにピンときたりそうした愛情に飢え感じ易い所がトレープレフと似ているのではと思いました。

マーシャはドールンの私生児なんだけどドールンの不誠実(相手役の印象が不誠実そのものと感じた)のも本当に辛かったけど実は彼女にとっての友人はトリゴーリンだったのだというのは意外な発見だった。
何故ならトリゴーリンが唯一彼女の話を対等に聞いてくれるから。
その友情によって3幕は彼女にとって幸せな瞬間だったのだなと発見した。例えメドヴェジェンコに対して全く愛を感じなくても彼女は自分で自分を納得させ前進しようとした。
彼女には芸術はないけど1幕の黒い喪服と3幕の結婚が彼女なりの自己表現だったのかも知れない。
もしかしたら飲酒も彼女なりの自己表現だったのかも知れないし彼女の不幸は自分で自分を幸せにする意思はあるのにその実行手段を持っていなかったというのかも知れない。
アルカージナもトリゴーリンにも自分を幸せに導く手段はあった。でも彼女にはなかった。トレープレフには手段があった。でも彼には意思が足りなかった。

そんなことを考えました。

あと彼女の感情の深さは4幕でトレープレフが語るニーナの不幸を真剣に聞き入り涙してしまうところにも表れていたなと感じました。
ニーナは恋敵ではあるけどそんな彼女にも慈しみを感じるマーシャの感情の深さはきっと幼い頃から血の繋がらない父に育てられた満たされない家庭環境から来てるんじゃないかなと思う。
不幸の味を知る人間は他人の不幸にも敏感なのかも知れない。

自分が演じるマーシャはとにかくよく泣く感受性の強い愛に飢えた儚い人間になった。そういうマーシャもいても良いのかも知れない。一面的な幸薄い"だけ"の人間なんて存在しないから。

沢山の発見を得れて本当に幸せな一日だったな。

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