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天才を殺す凡人

自分は天才か秀才か凡人か知る

天才秀才凡人がヒエラルキーの中で上下関係をもっているという意識から自分を解き放たなくてはならない。

天才も秀才も凡人も上下なく、表現するとすれば三原色のような関係性で、それぞれがある役割を担っている。

天才=創造性、秀才=再現性、凡人=共感性

これを根本に携えた人間が社会をつくっている。天才は主語が自然的なもの、秀才は社会的なもの、凡人はわたしあなた。

秀才は天才に嫉妬か憧れをもつ、秀才は凡人を見下す、凡人は天才が理解できないから排斥する。もしくは事業がうまく行ってる間は掌を返して盲目的に応援する。ほかにも天才と秀才の間の種族など、大体9種類の特性がある。

ちなみに天才と秀才の間にいる種族は超エリートで共感性がゼロ

秀才と凡人の間にいるのは物事を俯瞰できて共感性があるので現場回しとか実行していくのが得意。

あと天才と凡人の間は太宰治みたいな浮き沈みの激しい人で、孤独を感じて

いつか死ぬ。

(ほどメンタルが落ち込む。と解釈します。)


天才は論理性で秀才に負けるので、
アイデアは秀才と凡人には理解してもらえない。

この世の大多数を占める凡人は共感性がない人をとことん排斥してしまう。なに考えてるか分からないから。だから天才は論理性のある秀才にまけて孤独になっていく。それが今の社会で、松下幸之助などが築いた世代の天才の社長から再現性の高い秀才の社長に代替わりしていく。そこにイノベーションはない。

地位を失った現代の天才たちは何をしてるかは明白でたとえば事業家になって飛び回っている。

人は人、自分は自分。

相手が理解できない言動をしてても、そこに公的な目論見があるのならまずその本質を探すべきだと思う。人間は思い込むものだし。

僕は正義について言及しているものが〝みんな〟の意見を借りて正当性を発揮していた場合、大抵根拠なく裏返るので信用しないことにしている。

あの人共感性ないなと思っても仕方ないんだよ、だって生き物が違うんだから。


北野唯我「天才を殺す凡人」(日本経済新聞出版社)を読んで

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