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〈徹底討論〉あなたは個性をどう捉えるか

発達障害という概念が最近になって
でてきたのは
日本という社会が 
その個性に敏感に反応し
矯正させるようになっていって
その当事者の抵抗が問題になっているからではないか

そんな風に思う。

素敵な個性を持っている人が無理やり
普通というものに矯正させられる過程で
精神的に苦しみ

また周りの人にも
発達障害者の個性的な行動が
悪影響を及ぼしているのではないかと思う。

両者の負担

例えば発達障害者は普通になるために 
自分の個性を矯正するとき
負担を感じる。

周りの人は発達障害者の理解できない行動に頭を悩ませ負担を感じる。

いったい発達障害者はどう生きていくのが正解なのだろうか。

発達障害者といっても色々な人がいるので
ここでは個性が強い人という風に定義をすることにする。

はじめに個性というのは良い意味でも悪い意味でも用いられる。

いい意味だと人とは違う観点で物事を見たり、新しいことを考え出したり、その人らしさが現れているときに使われる。

悪い意味だと変わっているとか、おかしくて普通とは違うとか、外にはじかれるようなときに使われる。

個性というのはどちらの面にも変化しやすい不安定で確立されていない要素なのである。

距離感が大切

そんなときこの両者間の摩擦を減らすためにどうすればいいのか。

それは両者の距離感を大事にすることであると思う。

個性が強い人が皆が同じでいることを強制させられる環境にいると、摩擦が生じてしまう。

これはお互いにとって良いことではない。

個性が強い人はそんな個性も許容され、むしろその個性が役に立つような環境へいくことができると幸せになれるのだと思う。

これはとても慎重で繊細なものだ。

問題につながらないために

この両者の違いによって摩擦が生じて大きな問題につながらないように
していきたい。

これから発達障害者が社会に疲れてしまってほしくない。

周りの人達が発達障害者への対応に疲れてしまってほしくない。

両者間の摩擦をなくしたい。

そう思っている。

ここではどちらかが悪いとかを決めたいのではなく、

これからどうすれば問題につながらなくてすむのだろうかということを考えていきたい。

お互いが仲良く共存していけるようになりたい。

理解の大切さ

ここで私はまずは理解をすることが大事だと思っている。

相手を知るということである。

相手を理解することができれば
誤解を少しでも減らすことができると考える。

そして解決策を見つけ出すことができると思う。

厄介な障害

理論的なことはある程度は分かった。

お互いを理解することで問題が減るということは。

だけどそれだけでは不十分だ。

そこには厄介な障害の特性があるからだ。

それは

衝動性

認知機能の歪み

知的能力の欠如など

脳の機能的な障害である。

ケーキの切れない非行少年たち
という本を読んだ。

そこで非行に走ってしまう子どもたちには認知の歪みなどがあったと書かれていた。

つまりこの正しいこと悪いことをうまく判断できていない可能性が示唆されていたのだ。

その子達の本質はとても素直で好奇心が旺盛な子が多かったとも書かれていて意外だった。

元々から悪い子なんていないと思う。

障害がその子を悪い子に仕立て上げているのだ。

そして何か非行に走ってしまう子たちには罰を与えるよりも

保護をすることが大切なのではないかと思えた。

加えてそこには発達障害との関係性も書かれていた。

発達障害特有の特性は、非行に繋がりやすい。

ADHD傾向の生徒が学校の授業崩壊の原因になっているという話も聞いた。

これが発達障害者の起こした摩擦である。

しかしこれはADHDの生徒を無理やり学校教育に縛り付けた結果起きた
生徒の当たり前な反抗
であるとも言える。

ADHDの生徒には学校生活が苦痛だったのだ。

それを強制するからこんな問題が起きたのではないか。

その生徒一人ひとりにあった環境が提供されていればこのような問題には繋がらなかったのではないかと思う。

私はこの本をよんでとても悲しい気持ちになった。

発達障害の子どもたちが大人たちに無理矢理にも矯正され、
それに抵抗しあがいた爪跡が感じられたからだ。

この障害は本当に厄介なものだ。

仕組みや環境など少しでも障害への理解が広まって

このような摩擦が原因の問題が増えないことを願っている。

発達障害者へのサポートそして
その周りの人への理解を促す方法

など前に向かって考えていきたい。

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