コロナ・失語症日誌

「蓄音機」
昔の同僚だったのか、薫さんという人が、無垢の木で作った蓄音機を、父に持ってきた、竹針で鳴らす、細々とした音、が、そこには異世界が、

「犬を捨てに」
我が家に犬がいた、いつ、誰が、どんな、何も覚えていないが、ある日、生まれた何匹かの子犬を、川に捨てに、父と自転車で、

「乳飲み子の私が」
道の真ん中で泣いていた、何かあると実家に帰ってしまう母を、父が迎えに私を負ぶって、ある時、思案に暮れて、私を道の真ん中に、近所の人が、私の泣き声を聞きつけ、母の元へ、

「母の入院」
誰もいない我が家、母を訪ねて、母は腹膜炎で入院していた、何もしないで、何処にもいかないで、母は私の時の中に、私は一日中、病院で過ごした、

「父とウナギ獲りの仕掛けに」
父が行くか?、と、父の自転車に、私とウナギ篭と、懐中電灯で、川渕に、翌朝また一緒に、数少ない、父との遊びの記憶、

「本家で春祭り」
二駅ほど隣の、父の実家へ、初めて会う従兄妹、伯父、伯母、祖父、親戚がこんなにいたことの、桜の木の下で、酒盛り、従妹たちとの戯れ、

「火事」
我が家で、友達と遊んでいた、飽きて、外で遊ぼうと、探検に、途中、予感があって、家に戻ったら、炬燵が燃えていた、近所にいた母を呼びに、町内で、池からバケツリレーで火を消し、

「立派な風呂場が」
離れに立派な風呂場が、桶屋だから、お祖父さんが、そこで私は犬を飼っていたが、風呂に入った記憶が無い、

「八百屋の裏に豚小屋が」
池の脇を通るたびに、豚小屋の臭いが、ある日、鶏が豚の餌を食べていてか、豚に頭を食べられ、首だけで歩いていた、

「箍を削る父の記憶」
桶の注文が入ると、裏の道端で、青い竹の丸太から、金具を使って割り、しなる細い、箍を何本も、作っていく、

「銅板を貼った肥桶」
2階に上がったら、父が、自慢気に、赤銅色に輝いた桶を見せて、どうだと、肥の注ぎ口の付いた、すばらしい、注文だったのか、自分で考えたのか、それが売れたのか、わからない、

「家賃を払いに」
何故なのか、家賃を払いに行かされた、度々、家賃を催促されていた、家から少し離れた所の、嫌なおばさん、が、帰り際にお菓子をくれた、

「敬老水で鼻を切り」
道路を渡ろうとして、スクーターに轢かれた、持っていた敬老水の瓶で鼻を切った、今も傷跡があり、

「やっちゃん」
従姉のやっちゃんが遊びに来た、歳は随分離れていて、私はいつも子ども扱いだった、が、大きなお姉さんができたようで、いつも一緒に遊んでもらっていた、やっちゃんは、お母さんが肺病で入院していて、暫く私の家に泊りに来ていたのだった、何も知らなかった私は、
気に入らないことがあると、やっちゃんに当たって怒らせ、その日、何をしていたか思い出せないが、遂には、やっちゃんを怒らせ、そして「お前なんか帰れ」と喧嘩をしてしまったのだった、

「製材所のおじさん」
腕から手が無かった、その体で、製材の仕事をしていた、母の仕事先、遊びに行くと、陽気に迎えてくれた、

「市橋への道」
線路を渡り、臭いデンプン工場の脇を通り、犬を捨てた川を越え、寺の先の、竹藪を潜り、
母の実家へ、父と一緒の時、私一人の時、

「桶屋の仕事が完全になくなって」
御嵩の炭鉱へ父は、働きに行くようになり、
母は製材所へ、私は一人街を彷徨い、

「伊深正眼寺」
町内で、参詣、私は川遊びをしていて、深みにはまり、溺れ、遠のく意識の中、助けられ、

「風物詩のように」
正眼寺の僧が、街を歩き、「伊深正眼寺仏性をお願い申す」と家々に立ち、経を唱え、家からは、米か、お金を差し出し、

生まれてから、小学一年夏までの、7年8ケ月の街、記憶は少ないが、父母、27歳頃、初々しい、私の初体験の、まだ職人仕事のある、子供達の喧騒の、戦後7.8年の、駅前商店街、長閑な暮らしが、小料理屋、ビリヤード屋なども、富加村が大宝律令時代の、半布里戸籍の村であることを後年、岐阜県内有数の弥生古墳の里であることも、

「古井~本家での」
宿題忘れて、古井小、父母萱場へ、クドを作り、ハイボー、ドンド祭り、フクロウ、蛍狩り、なぜなに物語、歯医者、萱場の爆弾、森山用水、ケイコの高熱、ドジョウ採り、鯉釣り、三ツ池で溺れ、グライダー、お祖父さんに本を、馬飛び、卓袱台返し、母を迎えに、寝小便、シジミ採り、レバー、母の家出、、端午の節句、魚釣り、給食時間、トシマサ君、ユキマサ君、藍子先生、父と刀、父の逮捕、桑摘み、ヤギのエサ取り、居候そっと、グミの木、土田の伯母さん、太田の伯母さん、トヨちゃん、従妹たち、

「本家へ出戻り」
父にすれば、出戻り、が、直ぐには本家に入れず、一先ず新屋へ、頼る父、兄が、冷遇、

「予感があったものの」
突然の引っ越し、トラックに家財を積んで、新屋の離れに、小学1年の夏、

「父母は二人で、自転車に乗って」
萱場に働きに、妹は幼稚園、私は古井小へ、

「宿題を忘れて」
先生に、竹の棒で何人か並ばされ、叩かれ、転校して間もない、戸惑いの日々に、驚きが、
二階建て木造校舎がコの字に、長い渡り廊下、探検するような、二階の各教室、

「本家の納屋で」
牛がいる、ヤギがいる、鶏がいる、そんな納屋での暮らしが、コウエイと呼ぶ、祖父のいる離れには、叔母のトヨちゃんが、本家には従妹たち4人が、総勢12人の、

「納屋の軒下にクドを作り」
父は、蜜柑箱を並べて、ベッドを作り、一つは私の勉強机、暮らしが始まった、

「土田の伯母さん」
父の2番目の伯母さん、萱場の社宅に住んで、3人の従兄妹、笑顔の絶えない、家族、

「渡し舟」
乗ったことはなかったが、太田の伯母さんの家の前から、土田の伯母さんの社宅の家まで、土田の渡しが、

「土田の流鏑馬」
白髭神社で、

「ハイボー」
蠅追う男から来ていると、古井神社で、天狗の面を被った男が、竹のさらさと、木の棒を持って、参拝者の頭を撫でていく、鬼を突いたり、引っ張ると、追いかけてくる、

「どんど祭り」
竹藪のある洞の前で、薪を積んで、子供たちは枝に火をつけ、火遊び、駆けっこ、

「柴掻き(ごかき)」
ご掻きと言っていたが、裏山へ落ち葉や、柴を採りに、クドで燃やす、葉っぱ、枝、背負い篭いっぱいに、

「蛍狩り」
菜種を取った枝を束ねて、蛍をその枝に留まらせ、暗闇に、従妹らと、

ユネスコ世界無形文化遺産をネットで調べ、鑑賞、ブログにアップ、本日で、265、まだあと200あまり、途絶えていく風俗、祭祀、少年期、最後の時を体験していた、

「なぜなにものがたり」
学級文庫の図書係、かたぱしから本を、そのうち図書館で、理科が大好きに、なぜ雲は、なぜ星は、なぜ鳥は、と、

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