コロナ・失語症日誌

「嘘は大きければ大きいほどいい」

ヒトラーが嘯き、が今世界はコロナという大嘘が蔓延し
「嘘は大きければ大きいほどいい」

ヒトラーが嘯き、が今世界はコロナという大嘘が蔓延し、ヒトラーだらけの、この現象を、見たことを通して、歴史が嘘で作られていることを、世界は大嘘であることを確信する、大嘘と小嘘、多く人は評論家等は小嘘を見つけて手柄とし、しかし大嘘には手が付けられず、陰謀暴論と片付け、目が向かない、人類の危機に2年後、5年後、ワクチンのスパイク蛋白がとうなるか、酸化グラフェンが、免疫不全、不妊だらけの世界で終わるのか、

「9.11から始まってクレートリセット迄」

総仕上げがコロナパンデミックであることが自明、NWOが世界支配層の合意であることが、ダボス会議の、WEF(世界経済フォーラム)、資本主義と民主主義をリセットして、高度な管理社会を実現、

崩れた経済
格差拡大、信用低下
非効率な政府
巨大化するIT
米中緊張

「グレートリセットリセットに対して」

絶望主義でいいだろう、エリートが他を管理する、核の管理と同じ、誰かが管理しなければならない、地球の人口も同じ、パンドラの箱を開いてしまっているのだから、

「DSは本気で綿密に」

世界を潰そうとしている、ワクチンはその為のツールの一つ、グレートリセット、人口削減と、持続可能な地球環境の為と、様々な能書きを、

「ウイルス細胞説より深い」

ナノ分子材による毒素説が、肺炎を起こし、5Gによる人口コントロールへと、

「経済と人間関係、政治が」

コロナ後は変わると考える者、3.11以降、何も変わらないように、コロナ後も何も変わらぬ世界、ワクチンによって、人の死が、パンデミックとなる時、人は変わるかも、ワクチンの抗体、タンパクが問題を起こし、不妊が当たり前のこととなり、人の意識が為政への変革となり、様々に事がこの10年位で起こり、私はそれらを体験することとなり、

「作家たち3.11で自滅し」

コロナで消えた、誰もコロナを面と向かって批判しない、
島田雅彦~政府の対応を批判するのみ
村上春樹~安倍のマスク、GOtoのみ
平野啓一郎~PCR、ワクチン、緊急事態条項に
百田尚樹~コロナは武漢から発生

「真実への立場は」

思想、宗教、国、民族、政治ではない、真実への肉薄、追求心だけが、唯一者とその所有のような、想像的無の、私対世界のに於いてしか、真実はカリレオでも、ソクラテスでもなく、

「生きた、書いた、愛した」

の為に書く、絶望主義とはそれが為に、私の生き、愛しの為に、私は私で世界を愛す、絶望世界も自然裡なこととして、世界はコロナをやっている、戦争をやっている、ヤラセる者も、ヤラセラレル者も、人間と言う自然裡なことと、私の世界であると、

「コロナは」

ペストや、方丈記のように描くものではなく「1984」のように、人が邪悪に、人が社会の依存に絡めとられ、人を喪失した様を描くべき、この一年半でこれらは明瞭となったのだから死に至る病とは、人の喪失の世界であることの、カフカの城の世界が、邪悪にとって変わり、

「人生あと7、8、年」

反コロナ、反ワクチンの考察よりも、私の人生に対しての、絶望は絶望として置いておいて、私対世界の喜びへの、

「フランスワクチン強制へ」

G7、G20の、世界経済フォーラムの、ワクチンによる支配、クレーリセットへの、ブランデミック着々と実行、死にいたる病が、無知、依存性にあったとは、障害者とライ患者と、コロナ規制は、人間のつながりの再編が起き、一人を生きる人間が増え、人生の意味を私で問う者が、芸術が、文学が、哲学が、真に問われる時代へと、絶望主義の私対世界への、私の文学、私の哲学への

「原発の嘘から始まって」

コロナ、グレートリセットへと、団塊世代が終末において、老後を失い、子供らはダウン症、自閉症と、

「反戦とコロナ」

かって作家は、生命を賭して戦争に反対し、作家精神、あらゆる芸術家に貫かれている精神、その精神がコロナに対しては、ナショナリズムのように、愛国、正義の名の下に絡めとられ、パンデミックの名の下に世界を閉塞し、大きな嘘程人は見抜けず、テロとの闘いが、ウイルスとの闘いに変えられ、次に地球温暖化、気候変動、持続可能社会への闘いへと、反戦という思想が、汝人を殺すなかれ、人を殺すとは、自分を殺すこと、生命の尊厳を犯す事、コロナには疾病への保身と、他者への思いやり、戦争も他国で、勝った勝ったとニュース新聞で、コロナも何人死んだと、
世界規模で成果を報道し、それらが捏造、隠蔽で、

「文学とは」

そうしたものと思って、本質は問わず、超えて私の普遍、私の生を意味付けるもの、と、

「エルガー、チェロ協奏曲ホ短調」

青春の甘美な記憶が、人、時、事、物に包まれ感じられ喜びの中に

「「いのちの朝」武者小路実篤」

頑固一徹な、ジャガイモばかり描いていた画家が、娘の為に、娘をモデルに100号の絵に挑戦し、書き上げるというストーリー、頑固と言うことと、挑戦と言うことを美化することの、徹すると言うことの、価値が今や何でもなく、評価される事の意味は失せ、人間の普遍というものの意味は無用になり、人命を無視するという世界が今ここに、

「コロナが」

共同幻想を喪失させ、無責任と事なかれ主義をが、人間の人生の意味を知らしめ、権力と虚無を思い知らせ、

「反権力の者が」

日本においては、これ位しかいない、既成政党は全て容権力、よってコロナワクチン容認、陰謀論否定、反権力、反国家とは真実への道標、

「善と悪」

真実と嘘のと闘い、絶望の前にこの二つの闘いがある、ニィチェの絶望も、善への真実への希求があるからこそ、常に世界は支配、被支配と同時に、この二つの闘いが、現代はこれらがはっきりと分かる事態に、多く人間は、善も悪も、嘘も真実も求めはしない、が人類全体として、善へ、真実へ向き合う以外にない、ニィチェ「善悪の彼岸」~キリスト教批判、スタンダール称賛、

「3.11が」

未必の故意の殺人で、コロナが意図した殺人、

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