コロナ・失語症日誌

「グレートリセットは」

地球を操つろうとする者らの、傲慢から、1国の予算以上の金を持つ彼らのプログラム、コロナはその第一プログラム、デジタル通貨、世界統一政府迄のプロセス、

「金と権力を持つものは」

誰でも殺せるが、同じように誰からも殺される、カリギュラはそこを書きたかったのか、金と権力で費やす人生を、つまらないと思わせられないかと、

「5年後、10年後」

影響が出る放射能、ワクチンは直ちに、が、情報統制、無かったことに、しかし5年後、10年後には、マスコミは、学者は、原発の御用学者と同じ構図、

「トーラスとか」

また違った正しい新世界秩序だと、DSを批判しながら新世界秩序を言う、常に集団へ、未来へ、希望へと、これが人間の絶望出来ない、個を生きられない理由、「ベルリン天使の詩」の続編が、何と詰まらないものか、個人と全体の調和とは、全体を考える限り全体主義となる、個人主義だけで良いとしない限り、新世界秩序へと、唯一者に、個人主義に制限を加える者は、生命への冒涜、非国民という、公共のという、優性という。価値という、意味という、全体主義による、個という生命へ冒涜、

「かつて人類の闘いは」

個人主義対全体主義との闘いであった、全体が常に個人を圧迫、抹殺してきた、民族的ジェノサイドも、個人集合が全体集合に殺されたということ、善と悪、強者、弱者ではない、全体に依存する精神の問題、人生とは共同体ではなく、個を生きる事であるとの、シュティルナーの唯一者こそ、人生命、それが現在、パンデミックを通して、明確となった、個を生きる、愛ではない、愛を貫く個が先決問題、私対世界は、人の必然であるのだった、人類がどうであっても、私という生命においては、私対世界となる、

「ガンで世界を分解すること」

非婚、不妊、単身、不在人間、無用人間、死刑囚、異邦人、難民、被抑圧者、障害者、子供、病者、これらを通して世界は分解されねば、文学、哲学も、分解の唯一者の、個人のテーマにおいて作られねば、新しき人とは、これら身近な人間によって、右からも、左からも、歴史、科学、文化からも、ツァラトゥーストラが現代を生きることに、

「誰も批判してこない」

まして共感など、個人主義は、絶望はタブー、共同の、共感の、民主の、進歩の、愛の、テーゼのないものは、無関心、拒否、意志の伝達とは共感がベースにあることと、時代の、人間の、歴史の共有、あらゆる宗教のように、人間救済が根底に、私で世界を誕生させることなど許されず、

「ヒットラーという男がいたこと」

ドイツ国民のユダヤ排斥、日本人の中国、韓国への蔑視、アメリカの黒人の奴隷、オランダ、フランスのアパルトヘイト、何より封建社会を持つ人間、これらが陰謀でない無いはずはなく、世界は皆お花畑であると言うこと、着々とDS達は計画してきていたと言うこと、ぬるま湯の中の蛙であったと言うこと、

「ハラリではない」

30年後の人類へ向けての、唯一者主義をこそ、AI、テクノロジーの未来予想の、ハラリではない、理性や、理想や、希望を求めての、
DSの陰謀が欠落、感染症の生物兵器問題、ワクチンの人口削減問題、世界秩序構想のプロパガンダではない、世界がどのようであっても、私という唯一者とその所有、

「階級闘争の上にも」

金融支配があり、真理の上に自我がある、自我こそが全体、本質に先立つ実存の命題である、一切にして無である自我、真理と言えどその人間の考えに過ぎない、一切にして無なる自我こそが、キルケゴールの汎神論的虚無の深淵、ニーチェの汎神論的信仰、

「戦争に対して」

反戦という文学があった、このコロナに対し、反コロナのという文学が、「ペスト」のように成立するのだろうか、偽パンデミックの、生物兵器の、DSの陰謀、世界の金融資本の構図、それらに群がる、政治、利権、マスコミ、国民、庶民は詐欺被害者の、感染症という、その中での人間の生きざま、革命という、権力構造ではない、真の共産革命の、新しき人の文学が、

「ホロコーストを知っていて」

容認してきた人間、コロナの実態も知っていて、容認している人間、学者、etcのペシミズム、それがハラリが言うように、人類に試されている問題、ワクチンも、全体主義も、AI管理社会も、人間が求めていることの問題、

「個人が、国民が、人間が」

問題であるということ、行われているのはシステムではあるが、個人であるということ、拷問しているのはその男、それをさせているのはあの男、それを指揮しているのはあの男、それらを許しているのは、集団としてのシステム、それらを支えているのは国民、国家、社会を営む、人間という生物が、

「世界統一政府」

コロナパンデミック、PCP、ロックダウン、グレートリセット、シナリオ通りに進められている世界、一人で1000兆円を持つ者達の世界計画、原発日誌では、絶望主義をとなえた私に、まだ人間たちの生きようとする希望が、そこにはありと、私は俯瞰して見ている、3.11で10年、コロナで一年半、

「コロナに対しての」

人口削減、人間悪、環境問題を説く者への、人口増加とは自然の摂理で増えていくもの、それをコントロールしようとする傲慢、増えすぎればいずれ減るもの、それが自然の摂理、

「コロナを通して何が変わったか」

世界金融体制の変更、ドル支配の終焉、ブリックス、金本位、世界の多極化、グローバリストの犯罪、

「象は静かに座っている(フーボ胡波)」

タルベーラより進めた虚無、4時間長回しの、
29歳で自殺、コロナ世界に相応しい、王兵よりも良いと思う、身近な日常世界での出口無し、現代を生き写し、若者も老人においても、出口無しには変わりない、嘘と悪が蔓延、絶望と虚無は隠蔽、封殺されても、ネット世界では露呈している、ホロコーストが現実化している、コロナパンデミック世界、

「懐かしい感情」

ケルト音楽を~ガンも癒えイタリアへ、チャット、未踏発行
クライン~ブンの死、母の死、小木曽の死
エバ・キャシデー~3.11、一平、私対世界、シュティルナー
今世界が偽現実だらけとなって、絶望よりもコッケイさに、微笑ましく思え、

「コロナを通して」

科学といわれているものの、医学と言われているものの、それらを進め、携わっているものの、不信を招いた、政治、経済、社会、国家等は、3.11で、それがコロナでは全て渡り、初めに抗がん剤があった、次に血圧、抗うつ薬、子宮頸がん、そしてコロナと、

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