リスペクト

なぜみとん今治は「今治愛に欠ける」と指摘されるのか 3

今回、幾人かの声を受けてこのノートを立ち上げた理由、それについていよいよ触れます。
表題の「なぜ今治愛に欠けると指摘されるのか」にも繋がることです。

〇 「ノブレスオブリージュ」が微塵も感じられないことが1番の問題。
  

彼自身の言質が疑問に問われるたびに、こんな発信がここ数年で何度かあった。

「え?僕に影響力なんてないっすよ」

これは逃げ。言語道断である。
実際のところ、現時点で彼に影響力があるないは関係ない。
  
彼は、今治を活性化させるNPO法人「みとん今治」の代表なのである。

「その立場に立てば(内心はどうあれ)その立場らしく振る舞う必要がある」(辞書通りの意味そのままではない)

という「ノブレスオブリージュ」の考え方が普段から荒木君の言動には全く見受けられないのである。
それは日々のオンラインの発信内容でもそうだし、次回触れる予定であるがオフラインの荒木君もそうだ。
ノブレスオブリージュ(ノーブレスオブリージュとも)という言葉、荒木君は意識したことあるだろうか。
今回の一連の記事で1番叫びたいところは実はここだ。
「自分がやりたいから、自分が今治を楽しめる街にしたいからやってるだけなんすよ。嫌なら僕のことほっとけば??」
まだ、こう言い返すだろうか。

農業でもNPOでも補助金をもらってやっている活動である。(貰い終わったも含めて)
彼がよく批判している行政マンの方が、よっぽどモラルあるんじゃないかと思う時がある。

補助金とは、神様が(現実的にはお役所が)「これが小判が眠っている場所が書かれている地図ですよ。」といって渡してくれて、そこへいって地面を掘ったら小判がザックザク・・・というものではないのである。


補助金には、そのお金が補助金となった「フロー」がある。
地面を掘ったらラッキーなコトに小判が出てきた!ではない。
そのフローは、アンビジブルだ。
誰かの汗や血や涙がしみわたったフローだ。
それも何十万人、何百万人という。


ここの意識が欠けている。欠けていると受け止められても仕方がない、配慮のない表現が数年間続いている。これは最近始めたノートでは特に顕著だ。
もう1度、そのフローの結晶としての補助金を活用している自覚を持ち、つまりはやはり、「ノブレスオブリージュ」の精神と職責と責任感をもってほしい。

ただ、別にきちっときちっとかしこまったキャラになれって言ってるのではない。
現代らしく、WEB出身者らしく、インフルエンサーらしく豪快に馬鹿な行動とか発言を繰り返しまくって欲しい。

高校時代のグループ長の時のように。
そこに最低限のマナーさえあれば、ね。

色んなマナーや配慮、報告・連絡・相談の約束事を守ると言った人としてのリテラシーを守ってチャレンジしている人に目くじらを立てるほど今治市民は器は小さくないよ、と声を大にして言いたい。
オンラインでもオフラインでも、もっともっと今治を巻き込める振る舞い方を覚えるときっとみんなの眼差しも変わるだろう。それが彼のやりたいことに繋がるんじゃないかな?

ノーブレスオブリージュの精神をもって。
英語で人間はperson. その語源はpersona(ペルソナ、仮面)。
人を巻き込みたいなら人を巻き込むための仮面を永遠にかぶり続けなきゃ。
その覚悟を持たなきゃ。
それが自分自身の本来の性格や行動を変えていくこともあるだろうし、もしそれが途中で嫌になるのだったら、、、それまでだったってことでしょう。

次回は彼のオフラインについて触れます。
ちなみに彼は常日頃から「匿名での指摘」に抗うことに非常に強いこだわりをもっているようだが、荒木君という一方向に発信しているわけではないことも頭に入れて欲しいものである。

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