リスペクト

なぜみとん今治は『今治愛に欠ける』と指摘されるのか 2

ジャイアニズムが凄すぎて人がついてこない?

今日は少し細かいところについての記述だけになってしまいましたがご容赦ください。

荒木君の発信、また人と直接接する様子から

「あるがままに生きる」「自分の感情を素直に表現する」
という信念がよく伝わります。そこには「人生1度きりだから自分の気持ちに対して後悔がないように」という気持ちがよく透けて現れています。

しかし、その中で自分の想いを叶えてやるんだ!という野望だけが前面に出すぎるようになりました。
最初の数年はそれを面白がってついていく人も多くいたでしょう。
勿論、私も同じでした。
しかし、肩で風を切るようなジャイアニズムにみんな嫌気がさしていっているのが現状ではないでしょうか。「素直に表現することは自然体でいいこと」と捉えている節がありますが、社会の中で生きる上でそれだけではいけないことにまだ気づいていません。32歳、そろそろ猶予は迫っている。
そんな例を2つ。

〇 dis表現かどうかは、相手次第もしくは相対的な評価次第
「荒木君は今治を馬鹿にしている。」という感想がよくある。
荒木君は「そんなつもりは毛頭ない!!単に事実を言っているだけ!」
と言い返す。
恐らく、荒木君が変わらない限りこの問答は来年も再来年も3年後も5年後も何らかの形で続いているでしょう。

表現したことに対して受け手がどう受け止めるかは「それまでの経緯」に影響されるものだし、全て受け手の心が一瞬で決めることです。
前回の記事で述べた「ポジティブな軸」がまずは大切です。今治が好きなんだなという気持ちを意図的に継続的に表現していけば必ず受け手に伝わりますので心掛けて欲しいところ。

それに加えて、文章表現そのものをよく推敲して誤解を生ませない努力をする癖をつけて頂きたい。

相対的な評価次第という意味ではもう1つ。
tweet上で他人からの指摘に対して「w」をつけて嘲笑うかのような返信をする荒木君。
「え?そんな嘲笑うようなつもりでwつけてるんじゃないんですけど。単純に楽じゃないすか、wの一文字で。出た、揚げ足取りだ!」
が荒木君「らしい」思考でしょうか。
それこそ「揚げ足をとってきそう」だが、ここでは「w」をつけることだけを述べているのではない。
みとん今治への意見に対する返事の内容とそれに対する「w」の組み合わせを見ると、質問者を嘲笑していると受け止められない表現になるリスクがある。
が、彼は全く切り捨てる。
そして、「そんな揚げ足どりするやつなんて相手にせん!」「もっと大きい懐もちましょうよ。」となるのである。
話が噛み合っていないのが分かって頂けるだろうか。
揚げ足どりと決めつけた相手を見下して越に浸っているのだろうか。
他のインフルエンサーが指摘しているような「チャレンジャーを大きい懐で見ることの大切さ」は、荒木君が指摘している「余白」とは次元が違うことに恐らく気づいていない。
上でも述べたがやはり、自分の表現はどうだっただろうか?という方向に素直にベクトルを向ける癖をつけないと人の心はどんどんと離れていってしまう。

そして元々今治市民はそんなに排他的ではない。
勿論、都市部の若者コミュニティよりは排他的な傾向があるのは当たり前だが、特筆すべき程の差ではない。
むしろ東予4市の中ではやはり今治が1番、他者を受け入れやすい傾向にあると強く思う。
これは他の東予3市は「祭り」や「青年団」に特徴があるからで、ここではその詳細は割愛するが他市と比べると今治は本当に快適な街だ。これは自分の社会人スポーツの経験からも間違いなく言える。

※本当はまだ後半部分があったけど、総文字数がだいぶ伸びるのでここまでとします。
次回は今回の続きであり、このノートを立ち上げた理由に繋がる核心部分の指摘に入ります。

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