見出し画像

地霊と構造のあいだに-身体知とSWの発酵-

 昨年の元日に、「茶ノミ、茶カハ」という言葉をテーマに掲げた。これは柳宗悦が民藝を語るキーワードとして挙げたもので、「茶室の中で行われる茶の湯だけがお茶だろうか、いや、田んぼの作業の合間にどんぶりで飲むお茶も、またお茶である」という意味。すなわち、専門職の間で、専門用語と知識・技術を駆使して行われるものがある一方、そうでない人々が何気なく嗜むものの中にも、魅力がある、ということだ。
 教育や社会福祉、支援の現場では、専門性が問われる部分は大きくある。しかし、その対象とされる「児童・生徒」や「障害者・高齢者」といったくくりは、社会の中で対象者として扱う都合上、分けて名前をつけたものに違いない。専門職の技術には意義がある一方、その対象者が生きるのはあくまで「あたりまえの生活」なのだ。そこで隣り合うのは、まさに一緒に「お茶を飲む」、あたりまえの色んな人たちになるはずだ。昨年は、この「あたりまえに一緒にお茶を飲む人たち」をたくさん見かけることができた。

 タイの民族舞踊フォンダープには、仏教がベースになっていながら、様々な神や精霊への祈りが込められている。師匠から教えを受けた土地には、その土地の木や草、虫がいて、風土、暮らしの文化がある。それらを感じつつ、短いながら修行に励んだ。バリ島でも、独特の匂いやリズムを感じたように、土地の空気感は肌で感じることができる。見ることはできないが肌感でわかる、土地に漂うおぼろげなものを「ゲニウス・ロキ(地霊)」と呼ぶ。
 芸術文化活動のワークをする、あるいは立合うときには、まだ作品として形に落とし込む前の「美しい瞬間」に出会うときがたくさんある。それはまるで「地霊」のようにおぼろげで、その場にいる者にしか感じられないと思うことすらある。一方、それでは満足しきれずに、世に出したり、共有しようと試みることもある。

 職務の中では主にデザイン(俯瞰・整理/図案の定着ではなく)とマネジメント(舵取り・調整)を行う。難しくはないことを地道に行う作業で、多分ほとんど何をしているのか分からない。ともかく地味に役に立っているはず。
 世の中の構造は複雑で、整理がきいていないことも多い。それでいて、構造は時にゲニウス・ロキに牙を剥く。大切なものを大切に扱うために作った仕組みが、いつの間にかその大切なものを傷つけることがある。何か物事を成そうとするなら、地霊と構造のあいだにメンテナンスが必要だ。お坊さんがお経を読むのと一緒。

 創作の手法は発酵、色々入れておいて、時間が経つと出てくる成果物を待つ。ジャグリングとボディワークの発酵は成果物を生み出した。一方、ソーシャルワークには時間軸をうまく掛け合わせることができていない気がする。デザインとマネジメントは、今を見取り、今の伴走をするので精一杯だ。時間の単位はどんどん短くなる。
 だけど本当は、ソーシャルワークにこそ発酵の時間軸が必要そうだということも分かってきた。いまここにあるものを色々つっこんで、身体知を微生物の代わりにして、最後はデザインとマネジメントでメンテナスする。いままで仕上げの調理が多かったところを、今年は仕込みの方も始めていく。

 今年のテーマは、「地霊と構造のあいだに」。地霊の魅力を感じてばかりでは構造を変えられず、構造の言いなりになっていては地霊の魅力が失われる。ボディワークとソーシャルワークを駆使して、その両方にアプローチしつつ、現場では発酵による創発を目指す。擦り切れた善意は一旦傍に置いて、趣味の発酵に時間を託してお祈りしているような気もする。少し、部屋を散らかしてみようか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?