ヤマザキ春のパン祭り


皆さんはヤマザキ春のパン祭りに参加したことがありますか?あの祭りは、点数の書かれたシールのついたパンなどを買う、もしくはスーパーなどに置いてあるパン祭りの台紙を手に取るとスタートします。
私は3年くらい前に初めて本気でヤマザキ春のパン祭りに参加しました。その頃は、職場で朝ごはんを食べるような生活だったので、手軽に食べられる菓子パンをよく買っていました。また、職場で大量の菓子パンを発注することもあったので、シールの横領をし、点数を稼ぐこともありました。
そういう経緯もあり、3年前は確かシール台紙を2枚埋められた覚えがあります。
そしてシールと交換してもらえる皿は、何の変哲もない、真っ白な、皿です。毎年形は違えど、何も描かれていない、本当に真っさらな皿です。(ダジャレではありません。)
ただ、良い皿らしいです。海外の。
確かに手触りは、幼少期に海で拾った貝殻のような、ツルツルの中にも心地よいとっかかりのあるような、不思議と、いいね、と思ってしまう皿なのです。今まで集めた皿は全て実家に置いてありますが、使いやすい、皿なのです。白だからこそ何の料理にも合う、良い皿、なのです。
また、皿をスーパーなどで貰う時は、箱に入っているとかいうわけでもなく、ただのビニール袋に入れられた、ほぼ防御力ゼロの皿を貰うことになります。(店舗によって違うかもしれませんが。)良い皿なのにそんな荒々しい渡し方。そういうちょっとした適当さも良いな、と思ってしまいます。

ところが、今年のヤマザキパン祭りは例年とは違いました。皿を貰うのに必要な点数が増えたのです。そして私は今出来るだけ節約しようとしているので、毎日パンを買って帰ることはできません。パン祭りが終わるまでに点数を集められるのか、微妙なところです。30点が必要なのですが、今ようやく20点というところです。
このような状況になり、思うことがあります。
それは。


私は本当に皿が欲しいのだろうか?


この考えが頭をよぎってしまうと、もう、無邪気にパンを買っていたあの頃には戻れません。なんの変哲もない白い皿を、家計を脅かしてまで手に入れるのか?なぜ?どうせ自分ではあまり使わないから実家に持っていくことになるであろうその皿を、そうまでして、なぜ?と…。
こうなってくるともう、パン祭りは祭りではなく、修行、自分の物欲の深層心理を暴くための修行と成り果ててしまうのです。

皿が欲しい、なんで?
それは皿を手に入れたことをSNSで世に知らしめ、自己満足に浸りたいからではないのか?本当に欲しいのは皿なのか?名誉ではないのか?圧倒的な名誉が手に入らないからちまちま皿を集めて自己満足に浸っている、浅ましい生き物に成り果てているのではないのか?

ヤマザキ春のパン祭りが終わるまであと約1週間。(シールが付いているパンの出荷が4月30日まで、そのあとは5月14日までが皿の引き換え期間)
悟りを開き、純粋な気持ちで皿を手にすることが出来るのか。そして皿を得た時、私は何を失うのか…。
手に入れた皿に何を盛るのか、はたまた、皿を持ち帰ったその日に自らの手で皿をかち割るのか…。

皆さんも、己の精神の研鑽のため、ヤマザキ春のパン祭りに挑んでみてはいかがでしょうか?


ちなみに私は、ヤマザキのシュガーロールが大好きです。あの白いクリーム?ソース?砂糖?がかかったクロワッサンみたいなやつね!あれ美味いよな〜☺️

終わり