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御前山の御前様と悲恋伝説

愛しさと、せつなさと、ここは城里🦉

以前、水戸市内でゲストハウスを営んでいるという、若いご夫婦との出会いがありました。そんな旅好きな彼らとの会話で、お勧めされたのが城里町を流れる皇都川(こうとがわ)

…以前、そんなことがあったのを思い出しました。

よし、行くか
❗️

というわけで、5月某日。道を走らせ道の駅かつらへ。
向かい側にある、おまんじゅう製造所の脇から奥へと進んでいきます。ちなみに水戸サポにお馴染み、かつどらはここで作られており、担当していた当初は、試合での販売に合わせてここから仕入れていたのでした。

奥にそびえるのが御前山。

…で、思いついたのだけど、こんどPR大使の柳町選手と内田選手を連れて、一緒に「かつどら」作りを体験してもらうってのはどうだろう😗
(単に甘いものを食べる機会を増やしたいだけ)

そんな脇道をてこてこ歩いていくと、やがてフィールドに変化が…
ケヤキ坂46。
脇を見やると猪対策と思しきトラップも。
もしキャベツ太郎が置いてあったら、私も危なかった…
それで、そんな舗装路の脇を流れているのが既に皇都川なのでした。
安全に注意しながら水遊びをたのしもう!(いい大人だけど)

とめどなく流れる川の音。
このα波と1/fゆらぎが…たまらん🤤

苦しくたって、悲しくたって、皇都の中では平気…なの。

この皇都川には、むかし弘法大師が、洪水に苦しむ人々のために川を枯れさせたという伝説があるそうです。今シーズン、いっつもホームゲーム雨だから、なんか雨止めのご利益とかないんかな…。

あと、なんか奥の方に滝が見えたから…

抑えられない好奇衝動(イナーシャルキャンセラー)

川渡って、茂みを探って、目の前まで行っちゃった。

うなれ滝沢キック❗️

特に名前を示す看板等はなかったけど…これが増水した時だけ現れるという「むじなの滝」なのだろうか❓

水飛沫を浴びるほどに接近。晴乞いのための滝行じゃ❗️

ところで、御前山の麓を流れる皇都川。”御前”に”皇都”と、なんかここに共通するやんごとなき響きには、深い歴史的な理由がある気がするのであります。

そんなわけで、今日は(ひとりで)川遊びして過ごす予定だったのだけど、さらに少し進んでみると…

あ、ここも御前山ハイキングコースの一部になっているのか。

…。

なら行くしかないじゃないか❗️

そんなわけで。また山道を登り始めるパターン。

ハイキングと言われるくらいの運動が、今の私には強度的にちょうどいいです😌
前に運営側のボランティアで手伝ったけど、毎年11月頃に行われる御前山トレイルラン大会では、この辺りの山道を10kmだの27kmだの走り抜けていくのだから、すごいよなー🏃

あ、なんかセーブポイントみたいの見えてきた。
鐘つき堂跡。

鐘つき堂…ってことは、この辺りがもともと御前山城の縄張り…つまり御前山城址って事なのだろうか。これまで歩いてきた道は自然なダンジョンかと思っていたけれど、確かに言われてみれば人工的な遺構だったようにも…。

鐘つき堂からの眺望。やはり山は新緑の季節が映えますな。
登山ノートもあったので記録。なんかもう少し面白いこと書けば良かった…
餡です、山脈。

おもむろにリュックから取り出したるは、かつどら。出立前に、道の駅かつらで仕入れておいたのでした。なお、あんこはつぶあん派

ところで、このかつどらを買った時に店内の、おそらく有線で流れていた曲が、すごく懐かしくて、つい口ずんでしまったのだけど…何の曲だったかマジで思い出せなかった。私が反応するってことは、昔のアニメで、曲調的にエンディングテーマだったと思うんだけど…🤔

(追記)
サビのあたりの歌詞で調べたら、赤ちゃんと僕のED 梶谷美由紀「ルージュになりたい」でした。なつかしい😭

そんなわけで、山頂から今度は下り、「東登山口」というところから国道に出て、今回の登山は終了❗️ スタートから測って、なんだかんだで1時間半くらいは歩いていました。

最後に、戻ってから存在に気付いたんだけど、道の駅かつらのところの看板に、いろいろと伝説とロマンが書かれてありました。

普通、こういうのは最初にチェックするものだよね。

まず、今回は御前山コースと書いてある赤い道を、1→4→3→2→1のルートで進んだこと。推奨されている順路とは逆だったんだな。

それと、御前山や皇都川といった名前の由来。

ふむふむ、悲恋伝説ですか…

なんというか、だいぶ言葉を選んでいる感はあるけれど、たぶん素直な子どもと、擦れた大人が読むのとでは、だいぶ印象が異なるお話なのではないかと。これらを悲恋伝説と読むのか、政変スキャンダルと読むのかは、あくまで主観の違いですね。

歴史というのは、あくまで勝者によって編纂された記録であって、勝者と敗者、善と悪なんてのは、結果と主観(もしくは便宜上の分類)でしかないと考えています。善と悪があるから争いが起こるのではなく、互いに譲れない正義があるからこそ争いというものは起こるわけで。
徳川家康と石田三成、薩長と幕府、連邦とジオン、エゥーゴとティターンズ…事件・事象を、"未来"という、ある種”神の視点”から振り返った先に、何を視て、何を得るのか。それが"現代"を生きる私たちが、歴史という"過去"から学ぶ意義なのではないでしょうか。

しかしながら伝説とはいえ、坂東の片隅に、時の天皇陛下が住んでいたっていうのは、凄まじいことだよなぁ…。あと、この道鏡という僧。調べてみると、日本三悪人なんて呼ばれるほどの傑物だったみたいで、なかなか面白い。時系列逆だけど、日本のラスプーチンって感じだな。

…と、なんか後半真面目な講釈になってしまいましたが😓
前回の弘法大師しかり、こういった歴史的な観点からも城里町を深掘りしていくのは面白いですね❗️

<道の駅かつら>
〒311-4341 茨城県東茨城郡城里町大字御前山37






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