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自己同一化の練習(付録から参照)1


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この本の付録から抜粋し書いています。※昨日録音で一部、体のところだけ音声にしましたが、今日はその続きを文字にして、要所を書いてみます。


自己脱同一化と自己同一化
私たちは、自分がそれを同一化することで全てのものに支配されてしまう。しかし、どんなものでもそれから自分自身を脱同一化すれば、逆にそれを支配し、動かし、利用することができる


-演習-


私は身体を持っている。しかし私は私の身体ではない。

私の身体は、健康であったり病気であったりその時によっていろいろな状態になる。また休息が取れていたり、疲れていたりする。しかしそれは、私のセリフ、真の「私」とは全く関係がない。私は、自分の身体を、外界において体験し、行動するための貴重な道具として重要に思っている。しかし、身体は単純になる道具にすぎない。私は身体を大切に扱い、良い健康状態を保つよう心がける。しかし身体は私のセリフではない。

私は身体を持っている。しかし私は私の体ではない。


ここで、目を閉じてください。
そして、あなたの意識の中で、この言葉の大体の要旨を簡単に思い出してください。そして徐々に「私は体を持っている。しかし私は体ではない」と言う中心的概念に焦点をあててください。そして、このことをできる限り、あなたの意識において経験的事実として実感できるように努めてください。
そして目を開けて、次の2つの階段を同じように行ってください。


私は感情を持っている。しかし、私は私の感情ではない。

私の感情は多様であり、変化するものであり、またときには相矛盾する。私の感情は、愛から憎悪へ、平静から怒りへ、喜びから悲しみへと動揺する。しかし、私の本質ー私の本性ーは変わらない。
「私」は変わらず安定している。もし私が一時的に怒りの波にのまれるとしても、怒りの波はそのうち過ぎ去ることを私は知っている。故に、私がこの怒りなのではない。私は自分の感情を観察し、理解することができる。さらに徐々に感情方向付け、利用し、調和をもったものに統合していくことができるので、そのような感情が私のセルフではないことは明白である。
私は感情を持っている。しかし、私は感情ではない。


私は知性を持っている。しかし私は私の知性とは異なる。

私の知性は、発見と表現の大切な道具である。しかし知性は私という存在の本質ではない。知性の内容は、新しい概念、知性、知識、経験を取り入れるにつれて絶えず変化する。私に従うことを拒むこともしばしばある。それゆえ、知性と私が同一ではありえない。
知性は、私の内界と外界に関する知識の器官ではあるが、私のセルフではない。私は知性を持っている、しかし私は知性ではない。



―次に自己同一化の段階に進みます。ゆっくりと考えながらか確かめてくださいー

私自身すなわち「私」を脱同一化したあと感覚、感情、思考などの意識の内容から、私は純粋な自己意識の中であることを認識し、確信する。
私は、すべての心理的過程と私の肉体を観察し、方向付け、活用できる意志の中心である。あなたの中心をこの中心的気づき「私は純粋な自己意識の中心である」と言うことに集中してください。このことを気づきにおいて、体験的事実として実感できるようできる限り努めてください。

、、、
私は体を持っている。しかし私は体ではない。

私は感情持っている。しかし私は感情ではない。

私は知性を持っている。私は知性ではない。

続く➡

絵画はネットよりお借りしました。作品名は『複製禁止』(1937)

普段「前」と思っている方向は、他者の「前」をそのままコピーしたものだから気をつけろ!!ってマグリットは言ってるわけだねと、ヌースの半田さんがおっしゃっていたのが印象的で載せました。

https://www.artpedia.asia/not-to-be-reproduced/

ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。