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日常あれこれ②

最近亡くなった父と母が別の日だけど、それぞれ夢に出て来て、末っ子のわたしが気になって心配なのかって思えた。父はモロ心配な、母は若くなって遊んでいる、、顔もお互い見たが、近づこうとすると逃げていくかのように捕まらない、、その内茶色の小さな虫がいっぱいでてきて避けるのが大変、、その内何処かに居なくなった、、わあ遊んでいる!良かったと思った。人生働いてばかり体も悪くなっていろいろ辛かった状態。料理もお裁縫も野菜や果物を育てるのが上手かった、手が器用だった(;゚Д゚.....そんな事を数日経ってから書いておこうと思った。
(瞑想、七十二侯、つばめきたる4/4〜4/8までの間だったと思い出した)玄鳥至と書く。


肉体はないが魂は在ると思っている者には死はそう衝撃っていう訳ではない^_^;。でも最初はやはりあるけど(^^;、だんだんこちら側は癒されていくかのように死は在って欲しいというわたしの死生観だと思います。肉体だけの存在ではないので、もう一つを忘れがち。もちろんこの地球🌏で肉体を持っては会えないけど、『現ずれば現る!』という言葉を晴哉先生の講義録の中で知った。あぁ整体といっても気なのだなって知ったような気がして続けて来たんだと思う。情報や言葉に捉われていてはその裡にあるものが観えないものだなと思う。思いは向こうヘ還っている存在にも伝わる。どうしても!の時は様々な表現でそれは現れるだろう。でもわたしはなるべく使わない。向こうには向こうの働きがあるだろうし、体が無くなれば苦痛も悩みもないだろう。本来の存在(魂)に戻って楽しむも働くもいいだろう・・それを邪魔する事は出来ない。わたしはまだココだから、もう少しココで悩み泣き笑い集中したり飽きたり、諦めたりしながら生きる。


今は自粛中な状況、、いろいろ見直すのに時間はたっぷりある。自分で感じ考える時期だと思うので情報も取りながらもエンタメも少なめに:(;゙゚''ω゚''):して自分の内側を感じる方がいいなぁ。沢山の方々の時間が今自宅にあるので何かこの状態でも外を見たくなる、不安とかもあるかも、見ないでいられないではいられなくなるけど。

丁寧な(;´∀`?生活を考えたり(自分なりの見直しだから丁寧と感じるのだけど、丁寧ではないと思われるかも(^-^;?ですが)それは自分の思うそれでいいと思うね。勿体無いかも?ってこんな状況は長年生きてて初めてだし自分の為に使う。


わたしは30歳過ぎで整体に巡り合ったので、もうその年齢でお腹は切っていた。体力は減少して仕事もしたくない、気分も上がらない暮らしをしてた。でも何かしたい!と思ったらしく、その御蔭で?一人登山始め写真をやったりもした。その中の一つに今も続く整体の活元運動と愉気がある。更に今から4、5年前から瞑想も追加してた。


今から5年前には体を毎月看て貰っている整体の先生が亡くなり、その1年後に両親も向こうへ行った。

エネルギーが激減してショックからか腰がガクンと落ちるのも身をもって感じた。シルバーへの道が開いていくのを体が知った。‥まあもうこれはどうにもなるものでもない。

ただ体の落ち込みが酷くてやっと立ち上がると同じにして(最近までかかる)、過ぎ去った年月と体の硬張抜いた感じを知った(^^;、、。

身に付かないのにいいコトだと思って食べている感じの毎日・・余計にエネルギーが落ちる。この体験を整体をやりながら初めてだ。

物化、物の重い動かない自分の体。気が満ちない体に気が寄ってこない、逆に剥がれていくよう、物の体は重く動かない物の体を感じた。

でもそれも整体という気の世界に身を置いているから尚更敏感に感じているに違いない。何も体に入れてないから、単純に直にわたしに感じて来るからだ。それだって私だけかも知れない。整体やっているからってみなそれぞれ違うし視点も見方も違うからだ。

ただ今日強く感じた一言は、

"自分の命に何もかも任せて生きている”

って・・。

そう思った瞬間安心して力んでいた部分の力が抜けた(;´∀`。これが言いたかった今日。

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ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。