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mT期N 便り⑻…一旦終わり

朝浮かんできたこと、亡き両親の事をすっかり忘れよう。思い出しても追わないことと、、。一番の供養というものは実は忘れることだなって思った。(忘れる事で供養した)
…介護4、5年。でも病院や施設の行き来で、補助的役割で介護とは言えないと思っている、通いのパートさん的な。東京から北海道へは平日仕事してに土日通いが主で、大変だけど体力だけ勝負で、疲れから怪我したりしながら私も5歳年取ってた。
それより1年内で二人とも亡くなり、現在空き家(もう40年以上)の家をどうするか?上二人の姉からの連絡や相談もないまま、それらの性格をこれを機になる。
少額😅でもお金とか土地建物とか絡むと欲の配分量?を見る。
処理に時間がかかるほど拗れる、決まらないまま月日が流れ、気が付けばそれぞれの環境も変わっていく。
バラバラに暮らしていたものが親の死をきっかけに身内姉達と関わると、時々その行為や内容に、これ供養していることになるのか?的な思いも生まれて、
だからそんな事を考えることはいいことだと思う。

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ー印象的だったあるミニマリストが、(今は起業してる人だけど)親の不動産は子には負債だと、一等地でも要らない、物に縛られたくない、賃貸や公共を利用すればいいしetc、ズバっと言い切ってる。
遺産=貰うものだったが、時代世代が変わると意識は変わるものだ。

…確かにその親の遺産などの手続きするような頃には、子供側はもう老人な年齢で、簡単に簡素にいかない。
やたら執着が生まれてる時、これ姉妹争いかも知れないと思った、離縁になることも、現になっているかもと思った😅。それだけの薄い関係だったのだろう。
親も自分の残したもので自分の子供たち同士が疎遠のなるなど望まないだろうが、もうその親はいない。だから欲の為なら変わるものだ。

この地球、落下場所の物質社会はそればかりの世界の真っただ中に生きているようなもの。

朝うらうらと思いながら、最終的な処理は、土地も建物も残る預金で平にして自然界に納品(返上)するのが使ったものの礼儀かなって思えた‥。

それぞれ遺産というものを考える機会はあるといいです。またちゃんと話合う機会をたくさん持つことだ。最後は法律通り行うことだ。

わたしの中での両親を忘れるって事が結論みたいだった。それがわたしの両親への一番の供養。

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…年を重ねると、離れる事剥がすことが辛い、、過ぎ去っていくものを追うかのように離したくないもの。年齢的に先が見えてきて、いずれ自分が剥がれていかなといけない事を考えていくからかも知れない。いやー私はまだまだ!と思うのもその剥がれ感情の抵抗だから。

当たり前に在ったもの、生活、環境、親しい仲間、子供や孫たち、、
親が亡くなれば次は自分の番だ!押し出しトコロテン道具のように時はじわじわと迫り寄る。何も考えてないようで、いざとなると何とかしようと焦り足掻き悩む。

でも何よりこの事を考え、意志出来てよかったと思う。その時にならないと分からないことも多いから。

スムーズに向こうの世界へ行く満了一致です。その為に生きているとも言える。生きているものがそこに何も色付けしない。感謝とかなんとかも言葉も要らない。深く礼のみ

…後から後から、、ああすればこうすればなど居ないかとわかってて言うことばかり😅
それは自分の人生の悔い反省なので、亡くなった者には関係ない。
死んで教わったのは今生きている自分側なんだから、混同しない。

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https://youtu.be/PcxKwRs6yA4

ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。