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「愉気」ということー体が一番よく知っているー15

旅行して水が体に足りなくなってくると、パンがパサパサして旨くない。握り飯の方が食べたくなる。それなのにサンドイッチばかり出てたら惨めです。どんなにいい食べ物でも、時機を得ないといけない。
おしることビフテキを一緒に口の中に入れたら、両方とも旨くない。別々なら旨いのに、それをなんでもみんな混ぜ合わせるとか、順序を考えないとか、そういう事を平気でやってしまうのは可笑しいのです。

喉に煙草の粉が入ると咳が出てくる。鼻に入れるとクシャミになる。眼に入ったら涙が出てくる。同じ物であっても処によって違う。いろいろな徴候が出たとしても、そういう体の症状dwこういう処が悪いのだという見当はつくけれども、治す順序も時機も、体が一番知っているのです。

また栄養学といっても食品を分析するだけで、どういう食べ物が何処のために要るのかというと、最近、燐が甲状腺に行くということが解ったが、それ以外のものはどういう処へ行くか解っていないのです。だから食べ物がどれだけ栄養になるか、食べた栄養がどのように分配されるか、何故この人がこういうものを旨いと感じるか、まずいと感じるのか解らない。

自分に適うものは旨い。適わないものは旨くない。けれども何故、どういう訳でそういうものが食べたくなるのかということは解らない。それなのに栄養学といって、注ぎ込めばそれだけ栄養が入っているつもりになるけれども、消化器の消化・吸収を経なければ同化しないのです。消化器の働き以上に食べたら、余分なものは大便にしてしまうだけなのです。

大便として捨てられるうちはまだいいが、捨て損なったら自家中毒を起こすだけなのです。だからそんなに栄養を欲張って摂ってもしようがない。
体には、ちゃんとそういう調節する働きがあるのです。解らないことでもちゃんとやっている。解るのは喉までなのです。それから先は解っていない。体の中には、学問で解っていない面が沢山ある。
一つ解らなくても、全部が解らないのと同じなのです。何故かというと、人間は全体にバランスで生きているし、一粒の細胞が分裂して育っってきたのです。パーツを集めて出来たわけではない。だからその一つが歪んでも全体に影響するのです。


ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。