「自己管理」を考え直した

常々「長々とツイッターでツリー繋げるならブログかnoteかふせったーとかに書いてくれ」と他人に思っていたのに、自分も長々とツリーに繋げてしまったので、それを加筆修正した上でnoteにまとめておく。

ここ最近、自分自身のことといえども自分の意識や努力だけでコントロールできることは一部分にすぎず、全てをコントロールできると思うのは幻想であり傲慢なのではないか、ということを考えていた。

この考えに至ったのはダイエットを通じてだったのだけど、そんな折にアイドルの恋愛問題を立て続けに耳にして、オタクたちが「プロ意識がなってない!」と怒っているのを見かけたので、この話繋がってるかもと思いあのツリーを書いた。


ここで今のわたしのダイエットの状況を説明すると、6月頃から完全にダイエットをやめている。カロリー計算も食事記録も毎朝の体重測定もやめた。今自分に課しているのは「野菜は積極的に食べる」「月の会員費を無駄にしない程度にジムに行く」この2つである。ボディメイクよりももっと健康維持の方向に舵を切った。ハードルはめちゃくちゃ低くしたが、一応これは守っているおかげか、数日前に久々に体重を計ったところ数値はほぼ変わっていなかった。

ダイエットをやめた理由はシンプルに仕事でのストレスが爆増したからである。実は6月に直属の上司が病気で突然死してしまった。前日までいつも通りに仕事をしていたので、亡くなってしまったことに本当に驚いた。

その上司には色々とお世話になっていたので恩人が亡くなってしまった精神的ダメージや不安感、部署の繁忙期に亡くなってしまったので繁忙期と引継ぎが被ったりとか、後任の上司がマジでわたしの苦手なタイプであり接点が増えたことによるストレスで、とてもじゃないけどダイエットなんてやってる余裕がなかった。この期間でそれまで苦手だったコーヒーと辛いものが大好きになり、カフェインと香辛料の常時摂取をキメていた。

このときにどれだけ自分が日々意識し努力しようと思っても、自分の力が及ばない出来事に干渉されてしまうことがあるのだと実感した。上司が亡くなって職場の環境が変化したのはわたしがどうにかできたことじゃないし、これによって心が折れてしまった自分を責めるほどの自責思考の強さは持ち合わせていない。

裏を返せば、今までわたしのダイエットが順調だったのは、自分自身の意識や努力の要素も当然0ではないけれど、ダイエット(健康的な食事管理・適切な運動量の確保)に専念できるほど他にストレス要因がない恵まれた環境によって支えられていたのではないかと考えた。そしてこの環境を作っていたのは「他人」と「運」である。自分の力だけで作り上げたものじゃない。

そう思ったら、自己管理できる自分って最高!と悦に浸り、自己管理できる自分を証明するためのダイエットをすることに飽きてしまった。どうせ自分で頑張ったところで、自分自身のことですら自分以外の要因によって左右されるのだ。「自己管理できる自分」に自分自身の価値を依存するのは良くない。「自己管理できる自分」なんて予想だにしない方向から容易に崩されうる脆いものだ。


ここでアイドルの恋愛問題である。アイドルに恋愛問題が起こると決まって「プロ意識がない」と怒るオタクたちがいる。「恋人がいたことに怒ってるんじゃない、プロ意識のなさに怒ってる」とか「恋愛してもいいけど絶対に隠し通してほしい」とか。今これってめちゃくちゃ詭弁だなと思っている。

前半のわたしのダイエットの話に照らし合わせるならば、アイドル本人のプロ意識さえしっかりしていれば、恋愛問題は完璧にコントロールできるはずだというのは幻想なのではないか。基本的に自分一人で完結するダイエットすら自分以外の要素に影響されるのに、そもそも他人とやること前提の「恋愛」がアイドルのプロ意識だけで完璧にコントロールできるなんてありえないだろうと思う。

まともでない相手を選ぶなという気持ちは自分もオタクなのでものすごくよくわかる。でもオタクが軽く言うほど、付き合う前にその人の人間性を見抜くことは簡単ではないと思うのだ。特に10代だったり若いアイドルだったらなおさらだ。そもそも普通に考えて人を見る目というのは養う過程である程度の失敗は伴うものではないか。これはアイドルとて例外ではないと思う。

加えて人間は「変わる」生き物である。付き合った当初はちゃんとした人だったのに、いつの間にか人間性が厄介な方へ変わってしまったということもあるだろう。この場合、そんな相手を選んでしまったアイドルが悪いのだろうか。

ここででも結婚まですっぱ抜かれなかった人もいるじゃんと言われそうだが、もちろん本人の意識や努力がなければこうはならない。でもたまたま週刊誌に撮られなくて、たまたま相手が匂わせをしたりするような厄介なタイプでも付き合った後に豹変するタイプでもなかったという運の要素は全くなかったと言っていいのか。

個人的には全てが本人の努力がもたらした結果だとするのは乱暴だと思うし、こういう人をやたら持ち上げるオタク仕草も、こうであるべきだという価値観を強固にしてしまうので良くないのではないかと思い始めている。普通に結婚おめでとうだけでいいよね。

これは自己責任論とも繋がっているけど、オタクの恋愛問題に対する反応もそうだし、わたしもそうであったように(今もまだ完全に抜けきってるとは言えない)、意識とか努力を過信・信仰しすぎでは?と思うのだ。意識すれば、努力すれば絶対に思い通りの結果が掴めるみたいな。でも実際はそうじゃない。自分の意識や努力は、他人や周りの環境に簡単に左右される。「運」とかいうよくわからないものや、はたまた「時代」が全てをひっくり返すこともある。それらを前にして人間一人がある結果を求めて、起こりうることを予測して、影響を与えられることなんて、ほんの一部でしかないと思う。

だからといって何をやっても無駄だと諦めてしまうとか、他責に走りすぎるのは良くない。要はバランスの問題だ。でもなんか最近、その人がちゃんと意識・努力すればこうなったはずだ、こうはならなかったはずだみたいな論調をものすごく目にするので、それはかなり傲慢な考え方なのではないかと思ったのでこの文章を書いた。


個人的に推しに熱愛報道ができたら、よくわからない詭弁を振りかざすんじゃなくて素直に自分の感情と向き合えばいいと思う。てか別に推しにパートナーがいて悲しんだり相手に嫉妬してしまったり萎えてしまったりすることの何が悪いと思うし(直接加害を加えなければどう感じようとその人の自由)、そういう反応をしないオタクの方がカッコいいとも思わない。というかオタクするのにええかっこしようとしてどうするんだろう?とりあえず信頼できるオタクとかに話聞いてもらって、ただただ気持ちの整理をするのがきっと1番いい。推しに刃を向ける必要はないはず。

でも推しに刃を向ける必要はなくても、推しの踏み込んだプライベートの写真を流出させる輩には適切な裁きが下るように声をあげていこうね!!!!!!


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