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最近の私は、見ている世界を捉えなおそうとしている(のかもしれない)


今日はちょっと真面目モードに。(こういう書き出しの仕方って、自分を守ろうとしてるよね…。それくらい、何か大切なものを綴ろうとしているんだろうなぁなんて思いながら、一旦誰かに見られるとか関係なく書いてみる。)

私はよく「人は、無意識のうちに”自分の欲しい答え”を集めている」と思っていて。これはもしかすると、よく聞く「RASの法則」に近いのかもしれないなぁとも思う。

RASは、自分の興味・関心のある情報を無意識に多くインプットする「フィルター」のような役割を果たします。

たとえば、ゲームを趣味として持っている人なら、ゲームの広告が目に止まりやすいでしょう。一方、興味・関心がないことには脳が反応せず、無意識に情報をスルーします。全ての情報を受け取っていると、脳に膨大な負担がかかってしまうためです。

RASは自分にとって重要な情報を無意識にキャッチするフィルターの役割を果たしているのです。

脳科学のRASとは?メリットや活用方法をわかりやすく解説 | 今日も最高の1日に (goal-b.co.jp)


いつからだったかは定かではないけれど、定期的に「自分が今、何を集めようとしているのかキーワードを書き出す」という習慣がある私。やり方は簡単で

①1か月の自分を振り返る
(1週間でもいいけれど、少し期間が長い方がより分かりやすい)

②よく目にしたもの、気になったこと、実際に行動したり起きた体験に共通するキーワードに目を向ける。(探そうとするというよりも、ぼーっとして眺める感じで。)


昨日はまさに、その書き出すタイミングが巡ってきて。そこで気付いた最近の私は

・アート思考
・非言語
・自分の純粋な「好き!」「いいね!」集め

大きくはこの3つがキーワードみたい。



少し前、”最近の自分と、今クローゼットのなかにある服がしっくりこなくなった”という記事を書いたんだけど、まさにその感覚が自分の言葉(表現)にも出てきているんだろうなと思う。


誰かがSNSでつぶやいた言葉に「私も1年前から同じこと思ってた!」と思うけれど、次の瞬間に「じゃあ今は?本当に”同じ”?」「いや違う。もっといろんな体験を通して深まったけど…言葉にすると???」みたいな感じ。

同じでも、別にいいんだ。哲学者の言葉が普遍的なように、本質的な言葉はそこに戻って来るように。でも、なんか最近の私は、一旦今まで自分が見ていた世界を、「今ならどう表現する?」って、捉えなおそうとしているのかもしれないなって。


言葉を大切に扱いたいからこそ。言葉だけじゃとらえられない、見えないものも含めて見つめてみたい。


「今の私は、何を想う?」


この答えがいつ分かるかも分からない、むしろ見つけられないかもしれない可能性すらある探究が楽しい。そう思えるようになってから、自分を急かすことも、他人を急かすことも減ったことは、年を重ねるごとに生きやすくなったきっかけのひとつなのかもしれない。



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