映画「フルメタルジャケット」を観ました

前半と後半で大きく話の違う物語でした。

しかし、一貫して主人公のジョーカーの平和を思う心と海軍としての心との葛藤が描かれているようでした。


前半は、アメリカ海軍の養成所の話です。

落ちこぼれのレナードは、ハートマン軍曹に目をつけられ、いじめられていました。

ジョーカーがレナードを補佐するようになってからは、

優しいジョーカーの元でレナードは成長していきましたが、

それでもジョーカーの中でハートマン軍曹に対する恨みは溜まっていき、

最終的にハートマン軍曹を射殺した後、

自分自身の口に銃口をあて、自殺していました。

このシーンのジョーカーの心情を察すると苦しくなります。

レナードが軍の中で弱い立場にいることはわかっている中で、

どうにか助けてやろうとしたものの、

結局人を殺して自分も死んでしまったということで

辛いという言葉では言い表せないほどの気持ちだったと思います。


後半ではジョーカーがベトナム戦争に実際に行っているところが描かれていました。

最終的に、仲間を撃ち殺した敵を殺しにいきますが、

それは少女であり、それに動揺したように見えました。

ジョーカーの代わりに仲間が少女を撃ち、

瀕死の状態になったところで、

ジョーカーは苦しむ少女に慈悲を与えたように最後の一撃を与えていました。


どちらのシーンでも、ジョーカーは積極的に人を殺したいと思っていたわけではないように思います。

最初のシーンで人を殺すために海軍に入るのだと言っていましたが、

名前がジョーカー=冗談をいう人でもあり、

本当にそう思っているようには見えませんでした。

殺すことが正しい価値観であるような世界で、

常に平和のバッジを胸につけていました。

もちろん海軍であるために人を殺さなければならないのでしょうが、

同時に人が苦しむのを観ていられないような、

そんなジョーカーの相反する二面による葛藤を描いているようでした。

しかし全てを助けられるわけでもなく、

それが戦争の無慈悲さを感じさせる物語を作っているようでした。


前半のレナードの変化が怖過ぎて好きでした。

自分が直接ハートマン軍曹にいじめられているときはまだ耐えられたが、

自分のせいで仲間が罰を受け、仲間からも迫害されるというあたり、

おそらくジョーカーからも殴られたのが決定的で人が変わってしまったこと。

何もできないのに射撃だけはできること。

最初、殺しの顔ができなかったのに恨みから殺しの顔になっていること。殺しの顔になったとき、海兵で銃を覚えた人間が大統領などを暗殺したという話がされていること。

この辺りがレナードの恨みと混ざっていい意味で怖かったです。

最後の夜のトイレのシーンは怖過ぎますね…。

なんとなく夜のトイレというだけで怖いイメージがあるので、

それも相まっているのだと思いました。


そういえばレナードを仲間たち全員でリンチにした時、

ジョーカーはレナードの叫び声を聞かないように耳を塞いでいました。

最後、少女が叫ぶところを見ていられなかったのは、

このことがあったからなのかもしれないと思いました。

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