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曹操のY-DNAは弥生人と同根か?

 事実かどうかはおいといて、曹操のY-DNAハプロタイプがO-M268であることに意味を持つ。

 O-M268は2024年の定義ではO1bになっており、弥生人のY-DNAと考えられているO-M178 O1b2 の祖先型に相当する。このタイプのY-DNAはシナではかなり希であり、シナから追い出された稲作民がルーツと推測できる。ただし分岐した年代はかなり古く旧石器時代まで遡る。つまり稲作民が稲作を始める前まで遡る。

 つまり農耕が普及する前の南シナ系人が分岐したのではないかと考えられている。曹操の出身は豫州沛国譙県で、これは前漢太祖劉邦の出身地の近くになる。曹操の一族は劉邦の部下曹参の子孫を名乗っていたが、実際のところ曹操の祖父曹騰は宦官で、子をなせないので同郷の夏侯氏から養子を取ったと言われている。この夏侯氏はやはり劉邦の部下夏侯嬰の子孫を名乗っている。しかし遺伝子的にはどちらとも無関係と言う結果が出ているらしいので自称に過ぎない。とはいえ、ここで重要なのは、誰の子孫かというより地元の名士だったかの方になる。

 それも、どの時代から地元の名士だったかが重要になる。春秋戦国時代から続く家ではないかと考えられる。全然、記録が無いけど。もしかすると旧石器時代に分かれた九夷と同根の部族の末裔なのかも知れない。

 ここから妄想を膨らませるとO1b2集団は旧石器時代から淮河河口に住んでいて長江中流域から広がった水田稲作を受容した部族の一つなのだろう。

  なお淮河河口域や長江文明のDNA調査は進んでいないらしい。華北に比べて人骨が残りにくいのもありそう。2023年までの核DNAは渡来した弥生人が殷人、西遼河人、縄文人の混血をさしているが、実はこのデータに古代華南のデータが入っていないので華南人と混血しているかは全く分かっていない。要するに、現状、妄想で埋めないと行けない。

 下戸遺伝子の分布を見ると日本に来たのは九夷みたいだよね。

 それらの集団が海を渡り、殷人、西遼河人、海洋交易民の縄文人と混血したのだろう。

 しかし、O1b2集団の成立年代が旧石器時代の為、氷河期に日本に渡って縄文人を構成していたと言うシナリオも成立してしまうのが悩み所。

# 歴史

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