元史卷一 本紀第一 太祖 4

 烈祖イェスゲイがタタールを征服したとき、その族長のテムジンを捕らえた。その時、宣懿太后ホエルンは臨月で、ジンギスハンを産んだ。赤石のような血の塊を手に握りしめていた。烈祖はこれを異(特異)とし、捕らえたテムジンの名にちなんでその名をつけた。武功を志すためである。

初,烈祖征塔塔兒部,獲其部長鐵木真。宣懿太后月倫適生帝,手握凝血如赤石。烈祖異之,因以所獲鐵木真名之,志武功也。


 本来、タイチウト(泰赤烏)の族人と烈祖イェスゲイは古くから仲が良かったが、後のタルグタイ?(塔兒不台)との事件からの因縁で(続)

※塔兒不台をそのまま読むとタルブタイだが、元朝秘史に出てくる、タルグタイ・キリルトクか?校註が、塔兒忽台なので、タルグタイであろう。

族人泰赤烏部舊與烈祖相善,後因塔兒不台用事,

註(26)

「不」應作「忽」。
(続)互いに嫌いあい絶交していた。

 烈祖イェスゲイが崩じたとき、帝(チンギスハン)はまだ幼かったので、部民の多くはタイチウトに付いていった。近くに使えていた、トドン・コルチン(脫端火兒真) *1 と言うモノも裏切らんとしていた。帝(チンギスハン) *2 は泣いてこれをとどめたが、トドンが言うには「深い池も乾いてしまい、硬い石もくだけてしまったと言うのに、ここにいつまでも留まれるだろうか」*3 と言い捨てると衆をつれて去ってしまった。宣懿太后ホエルンは自分の弱さに怒り、旗下の将兵を自ら裏切り喪をを追いかけ、その大半を奪い返した。

 時に帝(チンギスハン)の旗下のジョチ(搠只)*4はサリ(薩里)河*5に別居していた。ジャムカ(札木合)の部人タイチャル(禿台察兒)*6はオレゲイ(玉律哥泉)におり、欲するままに侵入し、サリ(薩里)河に放っていた馬をつれさっていった。ジョチ(搠只)は左右の部下と馬の群れの中に身を潜め、これを射殺した。ジャムカ(札木合)はこれを恨み、タイチウト(泰赤烏)の部民と謀をし、三万の群で攻め寄せた。

 このとき帝(チンギスハン)は、(答闌版朱思之野)に駐軍していたが、事件を聞くと、十三翼に及ぶ諸部族の兵を集め、帝(チンギスハン)と[ジャムカは]大いくさをしたが、[チンギスハンは]破れて走った。*7

※1 トドン・コルチンは元朝秘史ではトドエン・ギルテ

※2 常になってりるが帝?

※3 元朝秘史に 深き水は乾きけり、光る石は砕けたり とある 

※4 ジョチ・カサルか?

※5 元朝秘史訳は、サアリヶ原としているが川がくねってる場所の意味かも

※6 ジャムカの弟

※7 十三翼の戦いの部分

註(26)続き

遂生嫌隙,絕不與通。及烈祖崩,帝方幼冲,部眾多歸泰赤烏。近侍有脫端火兒真者亦將叛,常自泣留之。脫端曰:「深池已乾矣,堅石已碎矣,留復何為!」竟帥眾馳去。宣懿太后怒其弱己也,麾旗將兵,躬自追叛者,驅其太半而還。
時帝麾下搠只別居薩里河。札木合部人禿台察兒居玉律哥泉,時欲相侵凌,掠

ここから4

薩里河牧馬以去。搠只麾左右匿羣馬中,射殺之。札木合以為怨,遂與泰赤烏諸部合謀, 以眾三萬來戰。帝時駐軍答闌版朱思之野,聞變,大集諸部兵,分十有三翼以俟。已而札 木合至,帝與大戰,破走之。


まさにこのとき、諸部族の中で唯タイチウト(泰赤烏)の民衆が地に広がり、最強を号した、その一族であるジュルキン(照烈)は、帝(チンギスハン)と近いところに住んでいた。

※ここタイチウト(族名)とタイチュ(ジュルキン部人・人名)が混乱している気がする。

※照烈はジュルキンか?

帝(チンギスハン)がかつて猟に出たとき、偶然、ジュルキン(照烈)に属する騎馬にあった、帝(チンギスハン)は「今晩飛ばれる場所はあるか?」、ジュルキン(照烈)は言った「もとより同宿を願うが、従者が400おり、干し飯にも事欠いている。既に半分を返している、そちらはどうか。」帝(チンギスハン)はともに宿し、そこに留まったものと、あるものを飲食し尽くした。明日、再び合うと、帝(チンギスハン)は、左右のものを使い、ジュルキン(照烈)に向かい獣をかけさせ、ジュルキン(照烈)は多くの獲物を得て騙った。その衆は感激して言うには「タイチウト(泰赤烏)といえどもこのような兄弟は居ない。常に私の車馬を払いのけ、飲食を奪う、無人の君である。この度友人の君にであったが、それはテムジン太子だけであるか?」

當是時,諸部之中,唯泰赤烏地廣民眾,號為最強。其族照烈部,與帝所居相近。帝嘗 出獵,偶與照烈獵騎相屬,帝謂之曰:「今夕可同宿乎?」照烈曰:「同宿固所願,但從者四百, 因糗糧不具,已遣半還矣,今將奈何?」帝固邀與宿,凡其留者,悉飲食之。明日再合圍,帝 使左右驅獸向照烈,照烈得多獲以歸。其眾感之,私相語曰:「泰赤烏與我雖兄弟,常攘我 車馬,奪我飲食,無人君之度。有人君之度者,其惟鐵木真太子乎?」


 ジュルキン(照烈)の長の(玉律)は、このときタイチウト(泰赤烏)に虐げられていたが堪らず、ついに(塔海答魯)と所有物をもって帰服していきた。この時、タイチウト(泰赤烏)は[チンギスハンを]殺そうとしていた。帝(チンギスハン)が言う「我が方はよく眠っていた、幸いあなたよって我は覚めた。今や車の轍や人の跡にまみれさせ、あなたはことごとく奪う事ができたのに。」その時すでに、二人はその言葉を実行する事が出来ず、再び叛いて去っていった。(塔海答魯)は道の途中でタイチウト(泰赤烏)の人のものに殺されジュルキン(照烈)はついに滅んだ。

※秘史のチンギスハンの留守を荒らしていたジュルキン族を滅ぼしたくだりか?その場合、玉律、塔海答魯はサチャ・ベキとタイジュを差すと思われる

照烈之長玉律,時為泰 赤烏所虐,不能堪,遂與塔海答魯領所部來歸,將殺泰赤烏以自效。帝曰:「我方熟寐,幸汝 覺我,自今車轍人跡之塗,當盡奪以與汝矣。」已而二人不能踐其言,復叛去。塔海答魯至 中路,為泰赤烏部人所殺,照烈部遂亡。


 こうして、帝(チンギスハン)の功徳が日増しに盛んになり、タイチウト族による非法により多くの部族が苦しんでいた。帝(チンギスハン)は寛仁に見え、時に人に裘馬を賜り喜ばせた。

 チラウン?(赤老溫)、ジュブケ?(哲別)、シリカヤブカン??(失力哥也不干)、(朵郎吉)、(札剌兒)、(忙兀)と言った者達がその義を慕って、みな降ってきた。

時帝功德日盛,泰赤烏諸部多苦其主非法,見帝寬仁,時賜人以裘馬,心悅之。若赤老 溫、若哲別、若失力哥也不干諸人,若朵郎吉、若札剌兒、若忙兀諸部,皆慕義來降。

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