元史卷一 本紀第一 太祖 1

 途中で止まっている奴。元史と高麗史は読むのが辛い。読んでみれば分かるけどモンゴル固有名詞が訳分からない。どこで区切るすら分からない🤷


 太祖、法天啟運聖武皇帝、諱をテムジン(鐵木真)、姓をキヤト(奇渥溫)と言い、モンゴルの人である。

太祖法天啟運聖武皇帝,諱鐵木真,姓奇渥溫氏,蒙古部人。


 その十世祖ボドンチャル(孛端叉兒)は、母をアラン・コア(阿蘭果火)と言い、ドブン・メルゲン(脫奔咩哩犍)に嫁ぎ、二人子を生んだ。長男をブドゥ・カタギ(博寒葛答黑)と言い、次男をブカトゥ・サルジ(博合覩撒里直)と言う。

※元朝秘史 孛兒帖赤那=青き狼 豁埃馬闌勒=白い鹿 でここから来てるのでは無いか?さらに読み進めるとドブン・メルゲン(脫奔咩哩犍)の嫁アラン・コア(阿蘭果火)の話があり、どうやらここから書かれているようである。

其十世祖孛端叉兒,母曰阿蘭果火,嫁脫奔咩哩犍,生二子,長曰博寒葛答黑,次曰博合覩撒里直。


 夫が無くなったあと寡居していたが、夜寝ていると帳の中で、夢に天窓に白光入り、金色神人と化し、ベッドをともにした。(阿蘭)は大変驚き目覚めた、やがて妊娠して子を生んだ。この子が(孛端叉兒)である。

※元朝秘史 前夫の子が長兄ベルヌグテイ、次兄ブグヌテイで、神人の子としているのがブドゥ・カタギ(博寒葛答黑)、ブカトゥ・サルジ(博合覩撒里直)、ボドンチャル・ムンカクの三人の様である。

既而夫亡,阿蘭寡居,夜寢帳中,夢白光自天窗中入,化為金色神人,來趨臥榻。阿蘭驚覺,遂有娠,產一子,即孛端叉兒也。


 その容貌は奇異で寡黙であった。家人は痴れ者と言ったが、(阿蘭)は人に言った。「この子は痴れ者では無い。後世子孫に歴史に名を残す大物が必ず出る。」と。

孛端叉兒狀貌奇異,沉默寡言,家人謂之 癡。獨阿蘭語人曰:「此兒非癡,後世子孫必有大貴者。」


 アラン・コア(阿蘭)が没すると兄は家を別けたがその取り分は無かった。ボドンチャル(孛端叉兒)は言った「金は無いが命はある。貨財が何の足しになろうか?」と一人、青白馬に乗り、バルジュン・アラル(八里屯阿懶)の地に住みついた。

※青白馬=みすぼらしい馬か? 元朝秘史では、背に瘡のあるちびた尾の馬とか (八里屯阿懶)はバルジュン島(アラル)

阿蘭沒,諸兄分家貲不及之。孛端叉兒曰:「貧賤富貴,命也,貲財何足道。」獨乘青白馬,至八里屯阿懶之地居焉。


 飲食に事欠いていると蒼鷹が野獣を捕まえてこれを食べていたのを得、ボドンチャル(孛端叉兒)はこれを縄をしかけこれを捕らえると、鷹はすぐに馴れた。そして鷹を肘に載せ猟をし、兎や鳥を捕まえてこれを食べた。欠ければすぐに足されるので、天が之を助けているように見えた。

食飲無所 得,適有蒼鷹搏野獸而食,孛端叉兒以緡設機取之,鷹即馴狎。乃臂鷹獵兔禽以為饍,或闕 即繼,似有天相之。


居着くこと数ヶ月、数十の家がトンゲリク(統急里忽魯)の野から水や草を求めやってきた。(孛端叉兒)は茅を結び、ともに住み、互いに助け合い生活の足しにした。

※(統急里忽魯) トンゲリク

居數月,有民數十家自統急里忽魯之野逐水草來遷,孛端叉兒結茅與之居,出入相資,自此生理稍足

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