既得権益層の負のインセンティブにより異世界チートは成立しない

 歴史を俯瞰するとこういうケースが沢山みられる。国家権力が強いほどチートは潰される。

 農業技術一つとっても専制国家ではチートを潰す方に動く傾向がある。一人あたりの生産性をあげる農具の導入より多数の奴隷を使役する方を好むものだ。鉄製の農具は反乱の武器になりかねない。それなら古い農業で十分と独裁者は考えるのだ。

 個々のケースを調べると分かりにくいのはイギリスの特許制度だ。イギリスの特許制度は、本来、収入源を制限されていた国王が商人などに独占権を認める代わりに対価を貰う集金装置だったのだ。これが国王の手から離れることで近代の特許制度になる。本来、物流から発明まで幅広い範囲を包括していたわけだ。しかし特許を拒否することがあった。それは、イギリス国王の統治権を脅かす発明である。1589年、エリザベス一世により靴下編み機の特許が却下されている。靴下編み機のもたらす利点と、それにより職を奪われる職人を天秤にかけ、靴下編み機が自分の利益にならないと判断したからだ。

 よりわかり安いのは中世のギルドである。ギルドの権益に反する発明は排除された。グーテンベルク印刷機も排除される寸前だった。しかし、ドイツがバラバラな国だったのでギルドの権力は都市に限定されていたのでグーテンベルク印刷機に利点を見いだした都市や領主などを経由して拡散していく。中世ギルドは人が飽和しており、修業と言う名目で他の都市に追い出していたぐらいなので、より手間とお金がかかるものだけにしかインセンティブが働かなかったのだ。近世でもラッダイト運動と言うものがあった。職を奪われると思った職工が機械を打ち壊したしろものだ。もっとも職工は支配階級ではないので限定的な影響に留まった。

 鉄道も専制君主が強い東欧では当初普及しなかった。国王が権力基盤を脅かすものと考えたからである。しかし、補給が勝負を決する戦争が続いたため国防のため鉄道を導入しなければならなくなった。

 日本では、江戸幕府は秩序維持のため造船を規制し、大きな川に橋をかけることを制限した。このため造船の技術は大型化の方向には進化しなかった。橋の不存在は、陸路の交通網の発達を妨げた。ただし欧米列強が日本近海に現れることにより、この規制が秩序維持に対して意味をなさなくなると廃止された。

 そして、李氏朝鮮の西学弾圧。そもそも権力維持のために車輪を作る事すら禁止していた李氏朝鮮が、西洋の学問を取り入れるのには高いハードルが存在した。分厚い既得権益層(両班)の存在だ。秀吉が強固な身分制度を破壊したため実学を取り入れる思想も普及していたもの、それ以上に保守的な既得権益層がまだ存在していた。西洋の学問を取り入れることで(ちなみに導入に積極的だったのは両班ではなくその下で実務を行っていた中人層である)、自らの支配基盤が壊れることを恐れた既得権益層は、キリスト教もろとも西学を弾圧した。かくして朝鮮は自ら近代化の芽を摘んだのである。最後には東学党の乱が起き、自ら国を滅ぼしたのである。

 それでは適切なインセンティブが働く世界ではどうなるのだろうか?恐らくチートは受け容れられるだろうが、中途半端なチートであれば確実に存在している。ノーフォーク農法に相当するもの(二年三作)が日本では11世紀頃に存在している。この変化は律令制の崩壊と在地地主の興隆が原因だろう。これら在地地主は武士階級になっていく。同時期のヨーロッパは農奴制を維持しており、ようやく鉄器の使用が始まった程度である。鉄器の使用は、開拓地に既存領主の手が伸びなかったために自由農民なれるインセンティブが働いたからだと思われる。しかし単位収量を上げる方向にインセンティブは働かなかった。農奴は土地に縛りつけられていたので必要以上に働くだけ無駄だったのだ。一方、日本では働くほどインセンティブが働いていた。朝廷が何度もやって失敗した貨幣の普及も起きている。これらは律令制の崩壊で農民が裕福になったからである。律令制時代の税率は10%なのに対し、封建時代の税率は五公五民。上がっている気がするよね。実際の実効税率は下がっているのだった。律令制は請負制なので、国に納める分以上は請負人(役人)の懐に入るのだ。この部分でかなり収奪していたのである。律令では賦役(労働力で支払う税)がかなり重かった。税金を都まで運ぶとか。

 つまりチートを成功させるには社会制度を先に変えないと行けないと言う問題が立ちはだかる訳である。そのために既得権益層との対立が発生する。チートを成功させるには、それらをかわせる政治力か滅ぼせる軍事力が必要になるかもいしれない。

 この手の負のインセンティブは今でも存在する。有名なのはサンフランシスコの住宅規制だ。サンフランシスコに於いてはこの規制により中流階級向けの住宅が全く供給されないのである。規制のかかっている場所は下流階層向けの住宅にするしか無く古い建物が放置されている。一部の規制外の土地は、より高い値段で売りつけようとするので上流階級向けの住宅だらけになった。そのため中流階級がテキサスに逃げ出している。

 ベネズエラの負のインセンティブはすさまじくチャベスは農家がコムギを作れば作るほど損する仕組みを作り、国内の農業を完全に破壊した。石油輸出に特化した経済は採掘施設の老朽化と原油価格の変動で完全に崩壊し、チャベスは国民を飢餓に陥れた。その結果がハイパーインフレ。

 結局、社会制度の変革しないと技術だけ持ち込んでも無意味なのだ。

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