ノーフォーク農法が要らない農業革命(アジア編)

 長くなりすぎたので日本編を分けた。

日本(太平洋側)

 調べていたら農業革命は鎌倉時代に起きている。輪作障害の起きない水田稲作に加えて小麦ー大豆の二毛作、輪作、窒素肥料として牛糞・馬糞の利用(江戸時代にはコレに魚粉の利用が加わる)、馬鍬の普及(平安時代)、荘園制による農地集約、潅漑水車の導入、土壌改良(日本は酸性土で石灰を突っ込まないと作付けできない作物が多い。ついでにマメ科作物を育てるには雨が多すぎる)など。水田稲作が主流の日本の場合、潅漑が不可欠なため硬度な土木工事の技術が要求されつづけるのでその素地があったと言える。そして地形から海運可能な地域が非常に多い(太平洋ベルト)

 しかし日本には産業革命に至るまでの前準備が全く存在しなかった(ギリシャもローマも存在しないし、鉄鉱山も発見されていなかったし、そもそも経済に貨幣が追いついていない)そのためには南蛮渡来の技術を吸収し、貨幣経済を受容する期間(江戸時代)が必要だった。

 しかし、農業革命が起きたにも関わらず、あまり人口が増えていないので対応表を作ってみた(1町歩=約1.1881haで換算。安土桃山時代と江戸時代は1haで換算)

 奈良平安 約102万ha 1人あたり約20アール (人口500万で計算した場合)
 鎌倉末期 約112万ha 1人あたり約12アール (人口900万で計算した場合)

 安土桃山 約150万ha 1人あたり約10アール(人口1500万で計算した場合)
 江戸初期 約206万ha
 江戸中期 約300万ha 1人あたり約10アール(人口3000万で計算した場合)
 江戸末期 約320万ha
 現代 約440万ha(北海道と沖縄を含む)

 鎌倉時代に農地辺りの養える人口が倍程度に増えているが 新田開発する技術が不足していて、農耕地が増えていない。一方、同じ時代のヨーロッパは森林を切り開き農耕地を増やしていた。

 戦国時代から江戸時代に農地面積が三倍に増えているが300万haぐらいで開発が進まなくなっている。産業革命と農業革命が人口増加の両輪の輪だった事がよく分かる(牧之原台地やシラス台地は産業革命の恩恵であるポンプが来るまで開発が進まなかった)これ以上人口が増えるには人工肥料の投入、品種改良、農業の集約化が必要だったと思われる。

 江戸時代は農作業効率の向上はあったものの農業生産量自体はあまり上がっていない数字が出ている(主要作物を捨てて嗜好品に作物を切り替えっていた可能性があるかも。それから小氷期で平均気温が2℃ばかり低かった)

 森を切り開けば農地に出来る天水農業中心のヨーロッパと切り開いても水が引き込めないといけない潅漑農業中心の日本の差異が出ているのかも知れない。

中国(河南から広東) 人口が多すぎ、労働単価が安すぎ、海禁政策が続いた関係で産業革命が起きない社会構造。この地域の農業生産量は宋代にはぶっちぎり(江浙熟すれば天下足る)なのだが他の地域と文化の多様性の無さが足引っ張っている気がする。

インド(ガンジス川中流域) イギリスに(略)

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